福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

2022年10月16日(日) 第3主日礼拝メッセージ


葛西説教20221016

1.テキスト「ヨハネ6:1-14

2.タイトル「いのちのパン」

3.中心聖句「ヨハネ6:35

「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」

4.本文「いのちのパン」

 序)「飽食の時代に飢えの話」

 終戦の時の荒廃した日本から日本の復興は進みました。かつて戦争中の苦労話に「空襲はとてもつらく恐ろしかったが、でも一番つらかったのは、食べ物が何もなかったことが一番つらかった」という話を聞いたことがあります。しかし、現在は飽食の時代と呼ばれ、まだ食べられるものまでが捨てられる時代です。そのような中、本日の聖書箇所は、イエス様が人々の飢えに奇跡のパンを与えて満腹になる話です。

では、私たちはこのイエス様の奇跡から何を教えられるのでしょうか。それは、私たちの人生や魂の必要をイエス様が満たして、腹は八分目が良いと言われますが、本日の人々のように満腹に満たしてくださるということなのです。

 

本論)「いのちのパン」

Ⅰ「弟子を試されたイエス」

 ある日、イエス様はガリラヤ湖のそばの山に登って、弟子たちと一緒に座られました。すると大勢の人々があちらこちらから集まって来ました。それは人々がイエス様のお話を聞きたい、またその奇跡を自分の目で見たいと期待していたからだと思われます。その集まった人々の数は、男の人だけで5千人だと聖書には書かれています。男の人だけでこの人数なのですから、子どもと女性を入れるとおそらくその倍はいたのではないかとも言われています。

 イエス様は、このご自身に期待して集まってきた人々を見て、何とかしてこれらの人たちに食事を与えたいと思われました。そこで、弟子のピリポさんに、「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか」(五節)と尋ねられました。

 そのイエス様のことばにピリポさんは驚いて、このように答えます。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません」(七節)と。集まってきた男だけで五千人がみな遠慮深く、小さなかけらだけで我慢するとしても、二百デナリのお金でも足りませんと答えたのです。ピリポさんは現実的、合理的な人なのでした。しかし、信仰の人ではなかったようです。

 このときイエス様は弟子のピリポさんを試そうとされて、このように尋ねられたのでした。聖書にも「イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである」(六節)と。

 

Ⅱ「奇跡の食事」

 では、イエス様は何をしようとされていたのでしょうか。それは奇跡の食事で、男だけで五千人の人々のお腹を満たそうとしておられたのです。

 その時、一人の少年が、イエス様の弟子のアンデレさんに、五つのパンと二匹の魚を差し出しました。それはパンが大麦であることから、貧しい人のお弁当ではないかと言われています。その少年は貧しい中から、神様の必要のためにとささげたのでした。

 しかし、先ほどのピリポさん同様、弟子のアンデレさんも現実的な分析を、イエス様に答えました。「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう」と。確かにこの分析は正しい答えです。しかし、ピリポさん同様、信仰の人ではありませんでした。

 イエス様は二人のお弟子さんのことばがあったにもかかわらず、人々を草の上に座らせるように言われました。このとき、さすがイエス様から選ばれたお弟子さんたちです。自分の思いや考えはあるのだけれども、イエス様のおことばを単純に信じて従い、人々を座らせました。そしてイエス様は少年のパンと魚を、それぞれ感謝の祈りをささげて、人々に分け与えられました。すると、不思議なことに人々が十分に食べて満腹し、残り物で12かごにあふれるお弁当ができたのです。

 

Ⅲ「いのちのパン」

 イエス様は、このパンの奇跡を行なわれた後、このように言われました。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません」(35節)と。

 イエス様は、わずかなパンと魚で人々のお腹を満たされました。イエス様は私たちの体の必要を満たしてくださるお方です。しかし、それだけではありません。イエス様は、私たちの人生も魂も喜びと平安で満たしてくださるお方なのです。まさに十字架で私たちの罪からの救いを成し遂げられたイエス様は「いのちのパン」となられたのです。イエス様の十字架の救いを信じる者の魂は救われて天国に迎えられ、その地上での人生には喜びと平安が満たされるのです。

 

勧め「いのちのパン」

 イエス様は、私たちのからだと魂の必要を満たし、養ってくださるお方です。ですから「いのちのパン」であるイエス様を信じましょう。そして私たちに真のいのちを与え続けてくださるイエス様につながり続けて、豊かな人生、天国への道を歩き続けましょう。