福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

2024年4月28日(日)礼拝メッセージ

「復活の希望」

葛西説教20240428③

1.テキスト「Ⅰテサロニケ4:13~18」

2.タイトル「復活の希望」

3.中心聖句「Ⅰテサロニケ4:17」

「空中で主と会うのです。このようにして、

私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」

4.本文「復活の希望」

 序)「再臨の希望」

 クリスチャンでない人々でも、「死んだら星になる」とか、「天国で再会しましょう」など、よく聞く話ではないでしょうか。ですがどこにその保証があるのでしょうか。彼らにとっては、それは「単なる望み」(Ⅰコリント15:19)にすぎません。しかし、イエスの復活を信じている者にとっては、それは確実な希望です。(14)「イエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られる」と約束されているからです。本日は「復活の希望」というタイトルで聖書のお話をさせていただきます。愛する人たちが死んだり、世の中の出来事が悲劇的な方向に向かったりするとき、私たちは絶望する必要はないのです。神が悲劇を勝利に、貧困を豊かさに、苦痛を栄光に、敗北を勝利に変えてくださるのですから。

 

本論)「復活の希望」

Ⅰ.「復活の意義」

 使徒の働き17章にあるように、テサロニケ伝道は迫害の中で始まりました。救われた者にも迫害の手がのばされました。殉教した者もいたと思われます。パウロはそういう人々を、「死んだ人々」ではなく、「眠った人々」と呼びます。それは、彼らは必ず眠りから覚め、復活するのだ、ということを示すために他ならないのです。(13)「知らないでいてもらいたくありません」という表現は、パウロがどうしても知ってもらいたい事柄を述べるときの決まり文句です(例 : ローマ1:13、Ⅰコリント10:1)。そして、(13)「望みのない人々(イエスを信じていない人々)のように悲しみに沈むことのないため」にと、イエスを信じる者の復活について詳しく説明します。

 もし復活がなければ、愛する者が死んだときの悲しみはいやしがたいものになります。しかし、愛する者が復活し、再び会うことができるなら、どれほど大きな喜びなのでしょうか。ここに復活の大きな意義があるのです。復活は死に対する勝利なのです。

 

Ⅱ.「復活の時期」

 しかし、彼らはすぐに復活するのではありません。復活の時期は、(16)「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られ」る時です。復活されたイエスは、その40日後に昇天されました。そして、他の誰でもない、イエス(16)「ご自身」が、再びこの地上においでになられます。それはパウロがテサロニケの人々に伝えたことでした(1:5~10)。聖書の中で「再臨」といわれるこの時に、「キリストにある死者」が復活するのです。

 (15)「主のみことばのとおりに言います」と記されているように、再臨の日については、イエスご自身も話されています(特にこの部分と最も似ている表現は、マタイ24:31に見られます)。しかし、直後の5章にも述べられているように、その日がいつなのかは誰にも分かりません(マタイ24:42)。ただ確実なのは、再臨の時にクリスチャンの復活があることです。ですから、復活の希望は再臨の希望につながります。イエスを救い主と信じる私たちは、たとえ死んでも復活します。そして復活の日、キリストご自身ともお会いできるのです。

 

Ⅲ.「復活の喜び」

 死が終わりではなく、復活の日があることを知っている私たちには、大きな喜びがあります。更に、その日には、先に天に召された愛する人々と再会できることも非常に大きな喜びです。しかし、最大の喜びは、イエスご自身と、顔と顔を合わせてお会いできることではないでしょうか。

 パウロは、自分が生きている間にイエスがおいでになることを思い、(15)「主が再び来られるときまで生き残っている私たち」、また、(17)「生き残っている私たち」と二度も繰り返します。そして、復活した人々と(17)「いっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいること」を確信し、喜んでいました。そして(18)「このことばをもって互いに慰め合いなさい」と勧めています。

 パウロの喜びは、(ルカ23:43)「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」と言われた強盗の喜びと同じなのです。それはまた、現代を生きる私たちの喜びでもあります。

 

結論)「復活の希望」

 パウロの生きている時代には再臨はありませんでした。また、その後2千年間、今日に至るまで再臨は訪れませんでした。その間、多くのクリスチャンは、再臨の日を待ち望みつつ地上の生涯を過ごし、息を引き取るときには、「復活の希望」に胸をふくらませていたのです。イエスの復活を信じている私たちはこの「復活の希望」をいただいているのです。たとえ再臨が遅れようとも、イエスと同じように私たちも復活し、イエスとお会いできることを。そして、「いつまでも主とともにいる」喜びを味わえるのです。

 ですから皆様、愛する人たちが死んだり、世の中の出来事が悲劇的な方向に向かったりするとき、私たちは絶望する必要はないのです。神が悲劇を勝利に、貧困を豊かさに、苦痛を栄光に、敗北を勝利に変えてくださるのです。