葛西説教20231029②
1.テキスト「Ⅰ列王記18~19章」
2.タイトル「私たちの選択」
3.中心聖句「Ⅰ列王記18章21節」
「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、【主】が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。」
4.本文「私たちの選択」
序)「イスラエルの選択」
本日の聖書はイスラエルの人々の選択のお話です。イスラエルの人々は、火が降るのを見るまでは無言、降ってからはひれ伏して、「主が神である」と言いました。どうしてそう言ったのか、その心の変化について考えてみましょう。日本では、何でも神にしてしまいますから、「何でも信じればいいじゃないか」という意見もあるでしょう。しかし、本当の神だけが火を降すことができるのです。どうか、イスラエルの人々の姿に自らの姿を重ねて、本当の神だけを信じて生きる大切さを味わいましょう。
本論)「私たちの選択」
Ⅰ.「聖書の要約」
まず本日の聖書を要約します。神は、「神が雨を降らせられることを、アハブに伝えなさい」と、エリヤに告げられました。エリヤはすぐに出かけ、アハブ王が水を捜しているところで出会いました。そこで彼は、「イスラエルのすべての民と王妃お抱えのバアルの預言者450人、アシェラの預言者400人をカルメル山に集めなさい」と告げました。
こうして、カルメル山にすべての民が集められました。そこでエリヤはイスラエルの民に「あなたがたはいつまで二つのものの間で迷っているのか。主が神ならば、主に従いなさい。バアルが神ならばバアルに従いなさい」と叫びました。しかし、民は誰も答えません。そこでエリヤは、「ここに二頭の雄牛を引いてきて切り裂き、祭壇の薪(まき)にのせて火をつけずにおき、それぞれの神に祭壇に火がつくように祈りましょう。そして、火をもって答える神を神としましょう」と提案しました。みんなが賛成したので、初めにバアルの預言者たちが祭壇のしたくを整えました。そして朝から昼まで、「バアルよ答えて下さい」と、叫び続けたのです。でも何も起こりません。祭壇の周りで踊っても、自分たちの体を刀や槍で傷つけて血を流しながら祈っても、何も起きませんでした。そこでエリヤは民を自分の周りに集め、祭壇を築き直し、周りに溝を掘り、その上に水を四つのかめで三度注いだのです。祭壇はびしょぬれになり、溝には水が溜まっていました。そこでエリヤは、「主よ、この民にあなたが神であることを知らせてください」と祈りました。すると、たちまち火が降って、薪はおろか、溝の水まで焼き尽くしてしまったのです。民はこれを見て、「主が神である。主が神である」とひれ伏したのです。それからバアルの預言者たちは、民に捕らえられ、殺されてしまいました。この後、エリヤが祈ると、大雨が降りだしたのです。
しかしこの報告を聞いたイゼベルは、悔い改めるどころか、「必ず殺してやる」とエリヤは脅します。エリヤは恐ろしくなって逃げだしました。荒野に逃げると、神の使いがエリヤに現れてエリヤに触れ、食べ物と水を与え、ホレブ山に着きました。
ホレブ山の洞窟に入ると、神は「エリヤよ、ここで何をしているのか」と尋ねられました。エリヤは、「自分一人が神の預言者として戦って残りました」と言うと、神は「山の上で主の前に立て」と命じられました。すると、目の前の自然が一変します。まず嵐です。しかし嵐の中に主はおられませんでした。次に地震です。しかし、地震の中にも主はおられませんでした。次は火事です。しかし、火の中にも主はおられませんでした。その後に、静かに細い神の声がありました。「ハザエルとエフーとエリシャに油を注ぎなさい。わたしはイスラエルのうちに7千人のバアルを拝まない人を残している」と。
Ⅱ「聖書のポイント」
本日の聖書のポイントは何でしょうか?バアルの祭司たちとの対決は、完全に勝利でした。エリヤは、これでみんなは神を信じるはずだと思ったでしょう。しかしイゼベルは、どれだけ奇跡を見せられても、バアルから離れませんでした。そんな人もいるのです。しかし神の計画は一つだけではありません。次の計画は、エリヤが次の世代を育てることでした。大きな出来事に目を奪われるのではなく、その背後にある神の細い声を聞き分け、導かれていくことによって育てられる人々が、一番大切なのです。
Ⅲ「聖書に生きる」
では、私たちにとって本日の聖書に生きるとはどういうことになるのでしょうか。それは私たちも、奇跡や不思議なことが起こらなければ、神を信じられないのでしょうか。それとも細い声に耳を澄ませて、神を知るのでしょうか。神は、私たちの礼拝や、デボーションが家庭礼拝がそのようであってほしいと願っておられるのです。
まとめ)「私たちの選択」
私たちは聖書の神を神として、聖書の神に従いましょう。私たちが神のみことば通りに挑戦していくとき、必ず祝福が待っています。それが奇跡的なわざであろうと、地道にこつこつ育てていく働きがあろうと、聖書に耳を傾け、みことば通りに挑戦しましょう。
そして、まだ聖書が証しする本当の神を信じておられない人は、どうか、イエスの十字架を信じてください。そうするなら、あなたに神の聖なる火である聖霊が降ることでしょう。
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