2022年11月20日(日) 第3主日礼拝メッセージ
葛西説教20221120②
1.テキスト「申命記26:1-11」
2.タイトル「実りを携えて」
3.中心聖句「申命記26:10」
「ここに私は、主、あなたが私に与えられた地の産物の初物を持ってまいりました。」
4.本文「実りを携えて」
序)「幸せって、なんでしょう」
昔、お笑いタレントの明石家さんまさんが、テレビのコマーシャルで言っていたセリフに似ていますが、皆様にとって「幸せって、何でしょう」か。
ある雑誌に、1968年東京生まれ、直木賞受賞作家の森絵都さんがコメントを載せていました。「自分にとっての幸せとは何か。曖昧さのかけらもない定義を設ければ、きっと人生もシンプルで見通しのいいものになるに違いない。『心の中にいつも小さなひだまりを持つこと』みたいな抽象的な幸福感はいらない。『朝、一杯目のコーヒーが美味しいこと』というようなおしゃれな響きも求めない。とはいえ、『衣食住に不自由しない』ではあまりにも味気ない。ある日、ふと思った。人間の幸福とは、つまるところ、一生の中で出会った人々によって決まってくるのではなかろうか。まわりを見渡しても、人間関係に恵まれている人は往々にして恵まれた人生を歩んでいる」と。
私たちはどのような出会いをしているでしょうか。皆様は神様と出会われていますか。
本日の礼拝は、神様への収穫感謝の礼拝です。モーセさんたちはこの天地をつくられた神様と出会いました。そして祝福の満ちた約束の地に導き入れられました。この神様はいつも私たちを豊かに養い、満たしてくださるのです。ですから、私たちは心からの感謝を神様にお献げしましょう。
本論)「実りを携えて」
Ⅰ.「感謝の献げもの」
神様はイスラエルの人々に、乳と蜜の流れる地、カナンの地に入ることを約束されました。そしてそこに入ったなら、まずそこで採れるものの中から一番最初にできたものを神様にお献げするように命じられました。これは、かつて神様がどんなに素晴らしい事をしてくださったかを覚え、心から感謝するためでした。
Ⅱ.「大いなる救い」
むかし、イスラエルの人たちはエジプトの国で四百年も奴隷として苦しめられていました。神様は彼らの悩みをごらんになり、その叫びを聞かれ、彼らをエジプトから救おうとされたのです。その時立てられた指導者がモーセさんでした。モーセさんは何度もパロ王の前に出ますが、パロ王は心を閉ざし、エジプトからイスラエルの人々を出すことを拒みました。その間に神様は、十回にもわたる災いをパロ王とエジプトに与えられました。そしてついに、エジプト人の最初に生まれた子供全てが神様に打たれたのを見たパロ王は、彼らをエジプトから出すことを許しました。
奴隷から解放され大喜びでエジプトを後にして紅海の前に来た時、後ろを見るとあのエジプト軍が追いかけてきているのです。前は紅海の海、後ろにはエジプト軍。おそれ惑った彼らは、モーセに向かって大声で叫びました。「こんなところで死ぬくらいなら、奴隷としてエジプトにいた方がましだ」と。しかし、モーセは、神様を信じて疑いませんでした。そして、神様の言われるとおりに持っていた杖を紅海に差し伸べた時。紅海は真っ二つに分かれて道が現われたのです。イスラエルの人々は海底にできた道を渡ることができました。全員が渡り終えた後、モーセが杖を海に伸ばしたときに、海は元のようになり、エジプト軍は全滅したのです。神様は素晴らしいみわざを現わされました。
私たちの神様は生きておられます。神様は私たちを恐ろしい罪から救うために、一人子イエス様を遣わしてくださいました。イエス様が、十字架にかかってくださったことによって私たちの罪はすべて赦され、救われる道が開かれたのです。わたしたちはいつでも、どこにいても神様がなしてくださった、このすばらしい救いのみわざを覚えて感謝しましょう。
Ⅲ.「神様の素晴らしい導き」
紅海を渡り終えたイスラエルの人々が通るべきところは、緑も水もない荒野でした。しかしそのような所でも、神様が導かれたのです。本当ならイスラエルの人々は十一日間で、約束の地カナンに入ることができるはずでした。しかし、何度も何度もつぶやいては、神様に従わなかったために、彼らは四十年間も荒野を旅しなければならなかったのです。神様はそうした中でも忍耐強く彼らを守り、必要な食べ物や水を与えて養い、導かれました。
荒野で死んでしまった人も多くいましたが、ついにイスラエルの人たちをカナンに導き入れられました。そして彼らは、神様の命令に従って、神様に心からの感謝の礼拝を献げたのです。
勧め)「実りを携えて」
神様は、私たちを罪と滅びから救い出してくださったばかりか、私たちの生活に必要なものを豊かに与えてくださいます。一つ一つの恵みを数えて、神様に感謝を献げましょう。
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