葛西説教20231126①
1.テキスト「マタイ17:1~8」
2.タイトル「イエスの変貌」(栄光の主を信仰の目で見る)
3.中心聖句「マタイ17:8」
「彼らが目を上げて見ると、だれもいなくて、ただイエスおひとりだけであった。」
4.本文「イエスの変貌」
序)「あなたはイエスを、どう見ていますか」
今、世の中には様々なイエス論があります。しかし、日本の福音的な神学者が言うように、劣悪なものが少なくありません。私たちは地上の次元ではなく、聖書が教える天上の次元において、イエスを理解したいと願います。
私たちはどんなふうにイエスを見ているでしょうか。イエスは私たちの罪を赦し、救うためにこの世に来てくださいました。十字架にかかり、死ぬために来てくださったイエスの本当の目的を忘れないようにしましょう。よみがえってくださった神の子のイエスを信じて生きましょう。
本論)「イエスの変貌」(栄光の主を信仰の目で見る)
Ⅰ.「栄光のイエス」
イエスが受難を予告され、「それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれ」ました。この三人はイエスの証人として選ばれた弟子たちでした。ゲッセマネの祈りにもイエスに同行しましたね(26:37)。この山については諸説ありますが、それは重要な問題ではありません。ここで起こることは地上の次元ではなく、天上の次元に関する事柄です。
イエスが山に登られたのは「祈るため」でした(ルカ9:28)。山の上で、イエスが祈っている間、弟子たちは熟睡(ルカ9:32)していましたが、彼らが目を覚ますと、イエスは変貌されました。「彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった」。太陽のような強い輝きはイエスの神としての栄光です(使徒の働き26:13、黙示録1:16) 。真っ白な衣は天上に住む者の特徴ですね(28:3、マルコ9:3、ダニエル7:9)。「変わり」と訳される語は外見だけではなく、内実を含む変化を意味します。メシアを地上の次元で理解し、政治的・軍事的な解放を期待していた弟子たちに対し、イエスは天上の次元におけるご自身の栄光の姿を見せられたのです。これは幻ではなく、「彼らの目の前で」起こった現実の出来事でした。
Ⅱ「告げられたイエスの使命」
「モーセとエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか」。モーセはイスラエルの民をエジプトから解放し、神から律法を受けて民を導いた偉大な指導者であり、エリヤはイスラエルの代表的な預言者です。この二人は旧約聖書を代表しています。彼らはイエスと、「イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期についていっしょに話していた」(ルカ9:31)。イエスは旧約聖書が預言するメシア(キリスト)としての使命を果たすために、天上の栄光を捨てて地上に降り、エルサレムで、十字架刑で死なれるのです。
しかし、ペテロは未だイエスの使命を悟らず、的外れなことを言いました。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ」。古代ユダヤには、大切な客のために天幕あるいは小屋を建てて、もてなす習慣がありました。ペテロはこの場にモーセとエリヤをとどめ、このすばらしい体験が続くようにと願ったのでしょう。
「彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい』」。「輝く雲」は神の臨在を表します(出エジプト40:34)。父なる神はイエスの受洗の時と同じことばを語り(3:17)、イエスが御心によって世に遣わされた御子であることを宣言されました。そして、「彼の言うことを聞きなさい」と付け加えられました。弟子たちは人間的な浅知恵や欲望を捨てて、イエスのことばにまっすぐに従うべきなのです。
「弟子たちは、この声を聞くと、ひれ伏して非常にこわがった」。人にはわきまえるべきそれぞれの分があります。神が主権によって定め、進めておられる計画に、人が割って入ることは許されないのです。
Ⅲ.「臨在の主イエス」
「イエスが来られて、彼らに手を触れ、『起きなさい。こわがることはない』と言われた。 それで、彼らが目を上げて見ると、だれもいなくて、ただイエスおひとりだけであった」。モーセとエリヤは去りました。偉大な預言者も神の歴史計画においてはわき役にすぎないのです。残るは主役イエスのみです。この後、イエスは受難と復活によって旧約聖書の預言を成就し、人類を救う贖いのわざを完成されるのです(5:17、26:54、ルカ24:27、44、ヨハネ5:39)。
まとめ)「イエスの変貌」
私たちはどんなふうにイエスを見ているでしょうか。イエスは私たちの罪を赦し、救うためにこの世に来てくださいました。十字架にかかり、死ぬために来てくださったイエスの本当の目的を忘れないようにしましょう。
イエスは今も私たちの内に臨在し、「恐れることはない」と言って、御手を伸べてくださいます。ただ主イエスを見つめて、従って生きましょう。
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