葛西説教20231105①
1.テキスト「Ⅰコリント13章4節」
2.タイトル「愛は人と比べないこと」
3.中心聖句「Ⅰコリント13章4節」
「愛は、・・人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。」
4.本文「愛は人と比べないこと」
序)「クリスマスは神の愛の祭典」
クリスマスは神の愛の祭典です。しかし、多くの人にとって、クリスマスを自分の愛の祭典としているのではないでしょうか。つまり、自分の満足、自分の幸せ、自分の計画の達成の時と考えてしまっているということです。しかし、聖書が教えるクリスマスは、イエスの十字架を暗示し、指し示す神の愛の祭典なのです。
ですから、クリスマスを控えた11月は聖書が教える「愛」について考えたいと願います。
私たちの中には、足が速い人、絵がうまい人、将棋などゲームが得意な人、色々な得意なことをもった人がいます。人には、それぞれの得意なことがあります。それは神が、それぞれの人に、それぞれの才能を賜っておられるのです。本日の聖書は、「愛」について考える時、それをねたんだり、それで人を見下してはならないと教えるのです。
本論)「愛は人と比べないこと」
Ⅰ.「聖書の要約」
本日の聖書を要約します。聖書は「愛はねたまない」と教えます。ねたむというのは、ほしいな、いいなとうらやましいと思い、その人にやさしくできないことです。
次に、愛は「自慢せず」です。自慢とは、ねたむの反対で、自分ができることを自慢して見せびらかし、人にうらやましがらせることです。
その次は、愛は「高慢にならない」です。高慢とは、自分ができることを高慢になった人が、できない人をダメな人間だと見下すことです。
この三つのことには、共通点があります。それは、人と比べるということです。ですから、できなくてもねたまず、できても自慢しないようにするには、人と比べなければいいのです。
皆さんも知っておられるでしょう。イエスが教えられたタラントの話を。そこでは、5タラントを主人から預かった人が5タラント儲けたのと、2タラント預かった人が、全く同じ評価でした。神は、何タラント持っているか、何タラント儲けたかを人と比べたりされません。神は、預かった才能をちゃんと用いたかどうかを見られるのです。ですから私たちも人と比べる必要はないのです。すべての人、特にクリスチャンは人と比べる必要はないのです。私たちは皆、異なる才能を神から預かっています。それを神と人々のためにちゃんと用いて役立てているかどうかが問われるのです。
Ⅱ.「聖書のポイント」
本日の聖書のポイントは何でしょうか。それは神が私たちひとり一人に預けられた能力は、みな違うのです。それは、神の知恵で、それぞれにふさわしく預けられたものなのです。ですから、だれも自分の能力を自慢したり、できない人を見下げたり、できる人をねたんではいけないのです。神から預かっているだけなのです。
また神は、どれだけできるかで評価したり、だれかと比べて点数をつけられることもありません。ですから、自分の能力を自慢したり、できない人を見下げたり、できる人をねたむ必要はないのです。だれもが自分の分を果たしさえすればいいのです。
Ⅲ.「聖書に生きる」
本日の聖書は、私たちにどのように生きることを願っているのでしょうか。それは愛とは人と比べないことです。人と比べないなら、ねたみません。自分の方ができないことがあっても、自分には自分の才能があって、それを果たしたら良いのです。できる人をねたまず、「がんばって」と、応援すればよいのです。
また人と比べないなら、自慢しません。自分の方がよくできても、その才能は自分のものではなく、神からの預かりものなのですから、自慢することはできません。
また人と比べないなら、人を見下しません。自分の方がよくできても、神から預かった多くの才能を、十分に果たさないといけないのです。だから、人を見下したりせずに心を引き締めます。
例えば、すぐれた人が来て、あなたが所属する仲間の中心から外されました。あなたはその人を応援できますか。それともねたんで意地悪しますか。または努力してがんばりますか。
結論)「愛は人と比べないこと」
聖書は私たちに「愛は人と比べない」と教えます。私たちはどうしても、ねたんだり、自慢したり、人を見下したりしてしまう、罪深い人間です。そのような時、本日の聖書の教えを思い出し祈りと賛美、そして信仰で愛の人として生きましょう。比べなければ、ねたまない、高ぶらない、誇らないのです。
ですから、ねたんで意地悪したり、高ぶって人をバカにしたことがあったなら、悔い改めましょう。イエスを信じるなら、私たちの心に住まわれるイエスの愛が私たちに注がれているなら、神の愛が私たちを神の愛の人に変えて下さるのです。
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