葛西説教20230326②
1.テキスト「ヨハネ13:1-15」
2.タイトル「愛」
3.中心聖句「ヨハネ13:14」
「あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。」
4.本文「愛」
序)「できること?」
先週はイエス様が私たちの「できること」を神様に、そして教会にささげることを神様は喜ばれ、そして神様の栄光のために用いられることを教えられました。また宣教の可能性について、神様の可能性と人間の可能性の二方面が考えられると言いましたが、この「できること」に、人間の可能性のヒントがあるように思います。私に洗礼を授けてくださった牧師は、日本教会成長奨学制度(日本教会成長研修所の前身、宣教団体ライフ・ミニストリーズ創設の制度)の1981年度受賞者で、三か月間カリフォルニア研修などを受講しました。そして方策論文、私の大阪の受洗教会の10ヶ年(1981~90年)伝道計画「信徒による拡大成長」を書かれました。それは私の教会生活と信仰生活にも大きな影響を与えたと思います。私も今、教会の「できること」について祈り考えています。
しかしやはり、私たちは宣教の可能性というとき、神様の可能性、すなわちイザヤの宣教を支えたものがベースであると私は考えています。あの女性の「できること」は人々に批判されました。また本日の「イエスの愛、洗足」もペテロには、「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります」(13:7)とイエス様の十字架と復活、そして聖霊様の満たしの後でわかると教えられています。ですから私たちの宣教は人間の可能性も無視はしませんが、まず神様の可能性について深く知り、信じ、取り扱われることがベースになければ、互いの批判や自己批判で教会生活、信仰生活にくたびれるのではないかと思うのです。
では本日は、神様の可能性の一つ、教会にある、クリスチャン、クリスチャン家庭にある「愛」について聖書から教えられましょう。
本論)「愛」
Ⅰ.「へりくだるイエス様の姿」
イエス様が明日は十字架にかかられるという前の日の夕方のことです。イエス様と12人の弟子たちはエルサレムのある家の二階に集まっていました。最後の晩餐となる食事でした。
私たちは食事の時に手を洗っていただきます。当時のユダヤでは足を洗ってから食べる習慣がありました。それは皆、サンダルを履いていたので、道の土ぼこりのために足が汚れてしまうからでした。ですから、その家に仕える奴隷が、家の主人やお客様の足を洗うのです。
ところが、この日はイエス様が突然立ち上がられました。そして上着を脱ぎ、タオルを腰に巻かれたイエス様は、バケツに水を入れて、弟子たちひとり一人の足を洗い始められました。その様子に弟子たちは、びっくりしました。そのような中、イエス様は弟子たちの足を洗われ、弟子たちのリーダー格のペテロの番になりました。
Ⅱ.「後でわかる愛」
ペテロは自分の前にしゃがまれたイエス様に言いました。「主よ、あなたが私の足をお洗いになるのですか」。するとイエス様は「わたしのしていることは、今、あなたにはわからないだろうが、後でわかるようになります」と言われました。
それでもペテロは「私の足を決して洗わないでください」とお断りしたのです。するとイエス様は言われました「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしと何の関係もなくなります」と。困ってしまったのはペテロです。あわててイエス様に「主よ、では足だけではなく、手も頭も洗ってください」と言いました。ペテロは、愛するイエス様と無関係になってしまっては大変だと思ったのです。でも、イエス様は足だけで十分だと言われました。
12人の弟子の足を洗われたイエス様は、上着を着て、もう一度席に戻られ、こう言われました。「わたしがなぜ、あなたがたにこのようにしたのかわかりますか。主であり、あなたがたの先生であるわたしが、弟子であるあなたがたの足を洗ったのは、あなたがたも互いに足を洗い合うようになるためです。わたしはその手本を示したのです」と。
Ⅲ.「十字架を知り、愛を知り、イエス様の愛に生きる」
イエス様はなぜ弟子たちの足を洗われたのでしょうか。それは、イエス様が弟子たちを深く愛しておられたからでした。
弟子たちの中には、これからご自分を裏切ろうとするイスカリオテのユダがいました。また、その翌日にはイエス様のことを三度も知らないと言ってしまうペテロもいました。他の弟子たちもイエス様を見捨てて逃げることも知っておられました。それでもイエス様は最後の最後まで愛し通され、奴隷のように弟子たちの足を洗われたのです。なんと素晴らしいイエス様の愛でしょう。
そして、イエス様が足を洗われたのは、お互いにそうするようにお手本を示されるためでした。私たちがお互いに愛しあい、仕えあうように模範を示してくださったのです。
勧め)「愛」
神の御子イエス様が、神としての栄光を捨てて、人となってこの世に来られました。しかも十字架にかかられていのちを捨ててくださったのです。この十字架のイエス様こそ、愛とへりくだりの最大の手本です。私たちも聖霊様のすばらしい働きの助けを得て、イエス様の模範にならい、互いに愛しあい、へりくだる者にしていただきましょう。
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