葛西説教20230917②
1.テキスト「創世記1:26~31」
2.タイトル「人が創造された目的」
3.中心聖句「創世記1章26節」
「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。」
4.本文「人が創造された目的」
序論)「かたちとは?」
人は、神のかたちに創造されました。創世記1:26と27での人間の創造の記事の中で、「かたち」(ヘブル語でצלם【ツェレム】)という語が3度も繰り返されているので、これが、人間の本質を理解するために極めて重要であると言われています。
神のかたちは、もちろん、肉体的な、目に見える形のことではありません。様々なことが言われていますが、以下の4つの性質と4つの必要が教えられます。
⑴人格性。それは知性、感情を持つと共に、自己決断をすることのできる自律の必要があります。⑵霊性。神が霊であるように、人も霊的な存在として造られました。このことは神を礼拝する必要があります。⑶道徳性。義と不義を判断し、聖さの中に歩む必要があります。⑷社会性。他者との人格的な関わり、愛のまじわりの必要があります。
このような「神のかたち」の栄光が、最初の人アダムとエバにありました。それで神は「見よ。それは非常に良かった」(1:31)と第六日目に言われたのです。神学者は、この表現には悪しきものの存在が否定され、すべてのものが個々の存在として良かったことだけでなく。それは全体としてそれぞれのつながりにおいて良かったこと、またその全体が神との関係において良かったことを強調していると言っています。
本論)「人が創造された目的」
Ⅰ.「神に似るものとして」
26節、「われわれのかたちとして、われわれに似せて」と言われました。つまり、人間は神に似るように創造されました。人間が造られた目的は、神に似るものとなるためです。新約聖書にも、Ⅱコリント3:18、「栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられ」またエペソ4:24で「神にかたどり造り出された、新しい人を身に着る」、コロサイ3:10「造り主のかたちに似せられてますます新しくされ」など、神に似ることの大切さが教えられます。
人間の人生の目的は、金持ちになることでも、博士や大臣になることでもありません。人の目に留まる偉大なことをすることでもありません。もしそうなら、能力の劣る人や障害を持って生まれた人は、生きる価値や意味が無いとされかねないですね。聖書は英語のDO(行動)ではなく、Being(存在)の大切さを徹頭徹尾、主張しています。たとえ、貧しくても、体が不自由でも、神に似た聖い生き方をすることこそが、神が求めておられる人生の目的なのです。
Ⅱ.「神のかたちとは」
「われわれのかたち」に人を造ろうと、神は言われました。神は人間のように肉体に制限されるお方でないので、かたちと言っても、外形のことではありません。それは霊的な存在、人格的な存在という意味です。「神に似る」とは、霊的、人格的に神に近づいていくことです。
注意すべきは、これは堕落前の人間について言われているのです。この後に学ぶ、人間が罪を犯してから、この神のかたちを失いました。だから、神の特別な恵みがなければ、それを回復することはできません。十字架にかかられたイエスこそ、神の恵みそのものとして地上に来られました。神のかたちを具体的に人間に示すために受肉されたのです。
Ⅲ.「神とのまじわり」
霊的、人格的に神に似ていくためには、神と親しいまじわりを持つ以外に方法はありません。人間は、神と親しい関係をもつことができるように創造されたのだから、もし望みさえするならば、神とのまじわりを回復することができるのです。
堕落した人間は、この後、登場するアダムとエバのように、神とのまじわりを避けようとします。しかし人間はこの悪い関係を整えることができるのです。
動物は、互いの関係を変えることはできません。たとえば、ライオンとウサギは弱肉強食の関係で、ライオンがウサギと親しくなれません。しかし人とライオンの関係は、人が食われることもあれば、人がライオンを捕らえたり、またはペットとしたり、ライオンを偶像として拝むこともあるでしょう。人間だけがライオンとの関係を変えられるのです。
友人との関係も同様です。初めは他人、しばらくすると知人、そのうち友達になったり、喧嘩をして絶交したり、仲直りしたり、親友になったりします。そしてそれは、神との関係でも同じです。神と人とは、初めは無関係か、もしくは罪を犯して神と敵対する関係です。しかし、聖書のことばに出会い、教会に行き、神と出会います。そして、主イエスを信じて神の子どもとなり、神とまじわる中で神に似る者となっていくのです。
勧め)「人が創造された目的」
神がご自分のかたちに人を造られたのは、人が神に似ていくためなのです。神を信じ、神の子どもとなり、神から教えられ、導かれ、助けられ、時には叱られと、神の子どもは神の似姿へと成長させられるのです。この成長のためには神と親しくまじわることが不可欠なことは、言うまでもありません。
ですから、教会の礼拝の祈り、賛美、献金、説教、奉仕、そして伝道、デボーション、私たちの生きることすべてが、この目的のためにあるそのような生き方ができますようにとお勧めいたします。
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