福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

2024年10月13日(日)礼拝メッセージ

「天国は本当にあるの?」

葛西説教20241013終末①

1.テキスト「ヨハネ書1416節」

2.タイトル「天国は本当にあるの?」

3.中心聖句「ヨハネ書146節」

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」

4.本文「天国は本当にあるのか?」

)「一般的な天国のイメージ」

 皆さんは、「天国」についてどのように考えていますか。神など信じない無神論者を自認し、普段は宗教や死生観に関心を持たない人であっても、そこに憧れのようなものをもっているかもしれません。愛する人やペットと死別した時には、その魂が天国に行くことを信じ、「天に送った」などと言うのではないでしょうか。広辞苑には、「神・天使などがいて清浄なものとされる天上の理想の世界」とありました。多くの人にとって「あってほしい世界」なのでしょう。しかし、天国の存在を確かめた人の証言が無く、試みることもできませんので、もちろん天国があるかないかの科学的な立証は不可能です。

 しかしながら、だれもが例外なく自分の死を迎えなければなりません。死後、私たちにどのような世界が待っているのか、決して目をそらしたり、無視したりしてよい事柄ではないのです。

 

本論)天国は本当にあるのか?」

.「聖書はどのように言っているのでしょうか」

 それでは、人類史上、最も人々の生き方に影響を与えてきた、世界のベストセラーである聖書は、天国についてどのように記しているのでしょうか。その天国に対する考え方には、他にはない特徴があります。それは、天上の世界を知る方であり、肉体を取って地上の生涯を生き、人としての死を経験したイエス・キリストの証言と教えによるということです。神であり、人であった方だからこそ可能なことでした。イエスは語っています。

 (ヨハネ書141~3節)「神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです」と。

 これはイエスが再び来て、イエスを信じた人々を永遠の住まいとなる天国に導くことを約束したことばです。

 聖書の天国の教えのもう一つの特異な点は、この世の終末と、個人の行く末が深く結びついていることです。人は死後、そのまま自動的に天国に行くのではありません。死によって肉体から離れた霊は、パラダイスかハデス(よみ)と言われる霊のみの状態に置かれます。イエスを信じた者の霊はパラダイスに、そうでない人の霊はハデスに入れられた状態で、世の終末を待つことになります。そして終わりの日にイエスが再び来て、その後に天国に迎えられると教えます。

 

.「終わりの日が来るとどうなる?」

 イエスが十字架にかかった時、二人の犯罪人も十字架にかけられたことが聖書に記されています。一人の犯罪人がイエスを罵ったのに対し、もう一人の犯罪人は(ルカ書2340)「おまえは神をも恐れないのか」といさめて、(ルカ書2342)「私を思い出してください」と言いました。するとイエスは(ルカ書2343)「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」と言われました。まさにそのパラダイスです。

 また、パラダイスとハデスがどのような所かを示すのに、イエスは、ルカ書1619から31節での「金持ちとラザロ」のたとえでわかりやすく教えられました。

 金持ちの家の前で貧しく暮らしていたラザロは、死んでイエスに守られ温かく迎え入れられた一方で、毎日贅沢に遊び暮らした不敬虔な金持ちは、死んで、ラザロとは違って、ただ苦しみだけがあるところに入れられたのでした。

 その状態で終わりの日にイエスが来られ、あらゆる時代のすべての人々は、神の審判を受けるためにイエスの前に立つのです。

 聖書は(ヘブル書927)「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」と教えます。

 また、(Ⅱコリント510)「私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです」と。

 その審判によって、私たちは選り分けられ、正しい人、すなわち神を信じる人は永遠のいのちを与えられ、残りの人、すなわち神を信じない人は神から引き離され、永遠の滅びに入れられます(マタイ書2546)

 その審判の後に、ついに新天新地がきます。こここそ天国と呼ばれる神の国、イエスとともにある永遠の住まいです。人々が求めた安住の地です。聖書の最終巻、ヨハネの黙示録はそこがどんなにすばらしい、平和と喜びに満ちた世界かを記しています。私たちがこの世でどんなに苦しみや悲しみの淵を通ったとしても、どんなに不遇な一生を送ってきたとしても、(ヨハネの黙示録214)「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである」と。

 

まとめ)「天国に備えて生きましょう」

イエスは教えられました。(ヨハネ書146)「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」と。

 イエスを信じた人の霊はパラダイスに、そうでない人の霊はハデスに入れられた状態で、世の終末を待つことになります。そして終わりの日にイエスが再び来て、その後に天国に迎えられると聖書は約束しています。

 

 このように、イエスを信じた人には、天国が約束されているので、天国に備えて生きましょう。

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天国の牧場で草を食む羊たちのイメージ