福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

2024年10月27日(日) 礼拝メッセージ

「忠実な奉仕者アンデレ」

葛西説教20241027

1.テキスト「ヨハネ書13542節」

2.タイトル「忠実な奉仕者アンデレ」

 (忠実な奉仕者アンデレのように、兄弟や友人にイエスを証ししましょう。)

3.中心聖句「ヨハネ142節」

「シモンをイエスのもとに連れて来た」

4.本文「忠実な奉仕者アンデレ」

)「はじめに」

 ペテロ、ヨハネ、ヤコブといった弟子たちほど、聖書に登場することのないアンデレですが、主なるイエスの御側で忠実に仕えた、すぐれた器なのです。

 本日はアンデレの奉仕者としての道をたどり、彼のように忠実な奉仕者とさせていただきましょう。

また、イエスは(1:38)「あなたがたは何を求めているのですか」と尋ねられました。このことばはイエスと出会うすべての人に対して言われています。それはイエスについて行くだけでは十分ではないからです。正しい理由で従わなければならないからです。自分の目的でイエスについて行く人は、イエスを自分に従わせているのです。自分の目標のために、自分の人生を前進させるため、イエスに協力を求めているのです。私たちはイエスの栄光を求めているでしょうか。自分の栄光を求めてはいないでしょうか。

 少なくとも、アンデレはそうではありませんでした。私たちも彼のようにイエスに従いましょう。

 

本論)「忠実な奉仕者アンデレ」

.「主なるイエスについて行ったアンデレ」

 ヨハネ書によると、シモン・ペテロの兄弟アンデレは、洗礼者ヨハネの弟子でした。

 ある時、洗礼者ヨハネのふたりの弟子、そのうちの一人アンデレは、洗礼者ヨハネが

(1:36)「見よ、神の小羊」と主なるイエスについて言うのを聞き、イエスの後について行きました。このヨハネ書137節に使われている「ついて行く」のことばは「従う」という意味です。39節の「来なさい」「ついて行く」とは異なることばが使われています。これは洗礼者ヨハネの弟子から、イエスの弟子に鞍替えしたことを暗示します。そして振り返って、彼らをご覧になったイエスは、彼らとの会話の後、(1:39)「来なさい」と彼らを招かれ、その結果、彼らはイエスの所に泊まることになりました。

このような、洗礼者ヨハネのことばに強く心動かされての、アンデレたちでした。その行動から、真理を求める彼らの強い思いが伝わってきます。それと同時に、ここでアンデレたちが、福音書全体の中で担った信仰的役割についても忘れてはなりません。彼らの師である洗礼者ヨハネは、(1:7)「光についてあかし」する者でした。その聖書のみことばのごとく、ヨハネ書1章の中ほどのヨハネ書119から34節には、洗礼者ヨハネ自身が直接イエスを証ししていました。その後、ヨハネ書135から51節にかけて、イエスの証しは弟子たちが担います。そしてアンデレはその橋渡しの役割を担ったのでした。

 ですから、ペテロ、ヨハネ、ヤコブといった弟子たちほど、聖書に登場することのないアンデレですが、主なるイエスの御側で忠実に仕えた、私たちが学ぶべきすぐれた器なのです。

 彼らはイエスに対して幾つかの呼び名を用いています。(1:36)「神の子羊」(1:38)「ラビ」(1:41)「メシヤ」(1:49)「神の子」(1:49)「イスラエルの王」と。彼らはイエスを知るようになるにつれ、イエスに対する正しい認識ができました。しかし、使徒の働き2章にあるように、3年たってもイエスを完全には理解できませんでした。信仰のことばは簡単に口にすることができますが、イエスに対する深く正しい認識は、信仰によって生きることを通して学ぶものなのです。

 

.「イエスのもとに導いたアンデレ」

ヨハネ書140節をもって、初めてアンデレの名前がシモン・ペテロの兄弟として明らかにされます。そしてイエスの所に宿泊したアンデレは、翌日、彼の兄弟シモンに(1:41)「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った」と告げました。この「会った」とは、分かったという意味です。イエスが救い主だと分かったという意味です。

ここで重要なことは、アンデレが告白したイエスへのメシヤ、キリストであるとの確信は、洗礼者ヨハネの証しが始まりでしたが、何よりアンデレ自身がイエスとの交わりによって確信が与えられたのでした。すなわち、イエスが(1:39)「来なさい」と言われたとおりに、アンデレは直接イエスのもとに来て、イエスがキリストであることをその目で見、耳で聞いて知ったのでした。これはヨハネ書47から42節の場面においても重なっています。ヨハネ書1章の時のようにイエスからではなく、サマリヤの女性の口から、(4:29)「来て、見てください」と、人々にイエスの所に行くようにと勧めがされます。その結果、イエスと交わった人々は、(4:42)「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです」と告白しました。

ですから、私たちに大切なことは、私たちもイエスの所に行って、イエスのお姿を見て、お声を聞いて、イエスと深く交わることです。教会の礼拝も日々のデボーションなどはそのような時なのです。

アンデレは、イエスをキリストと告白するだけでなく、シモンをイエスのもとに連れて行きました。これはイエスとの交わりをいただいたアンデレの必然的行為です。アンデレによってイエスのもとに連れられた兄弟シモンは、(1:42)「ケパ(訳すとペテロ)と」呼ばれ、新しい人生へと方向付けられました。このようにアンデレはその人の魂をイエスのもとに導く最初の働き人となりました。

クリスチャンの皆様、その名誉ある召命は、神から私たちにも与えられているのです。

 

.「信頼された使徒アンデレ」

 イエスの弟子となったアンデレは、その誠実な働きのゆえに他の弟子たちにも信頼されました。

 その一つのエピソードは、ヨハネ書65から14節に記されている5千人の給食です。アンデレはパンと魚をもっている子どもをイエスの前に連れて来ます。アンデレの行為は、決して確信をもってなされたものではないにしろ、イエスの前に子どもを連れて来る働きが聖書に記されています。このことは、使徒としてのアンデレの働きの誠実さが伝わる出来事です。彼は自分にできることを精一杯したのでした。

 もう一つのエピソードは、ヨハネ書1220から22節に記されています。エルサレムに入城されたイエスとの面会を求めて、数人のギリシヤ人がピリポにとりなしを頼みました。そこでピリポは同じベツサイダ出身のアンデレの所に行って事情を話し、アンデレに同伴をしてもらってイエスの所に行って面会を頼みました。恐らくピリポはアンデレに事の次第を話し、助言を求め、同伴してもらったのでしょう。アンデレはピリポにも信頼され、取次を頼まれるような誠実な人柄が知れるエピソードです。

 このようにアンデレは決してペテロやヨハネのように中心的な働きをすることはありませんでしたが、信仰と誠実な人格をもって奉仕に励んだ働き人でした。

 

結論)「忠実な奉仕者アンデレ」 

 アンデレは、イエス・キリストを信じ、人々をイエスのもとに導きました。私たちも彼のように忠実にイエスに仕えましょう。そして周囲の人々、兄弟、友人にイエスを証ししましょう。

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伝道する羊のイメージです。