葛西説教20241110
1.テキスト「ヨハネ2:1~11」
2.タイトル「変化をもたらすキリスト」
3.中心聖句「ヨハネ2:10」
4.本文「変化をもたらすキリスト」
序)「変化の目的、喜びの人生」
本日は、「変化をもたらすキリスト」というタイトルを付けさせていただきました。キリストであるイエスは、皆さんが苦しく、悲しい人生を送ることを願ってはおらないからです。そうではなく、皆さんが心から喜びに満ちて日々を過ごす人生を送ることができるようにと変えてくださるお方なのです。
どうか、本日のテキストのように、イエスによって変えていただきましょう。あなたはイエスによって変えていただいておられますか。まだの人はぜひ、イエスを信じて喜びの人生へと変えていただきましよう。
本論)「変化をもたらすキリスト」
Ⅰ.「ぶどう酒が不足(問題発生)」
イスラエルの結婚でのお祝い、日本流にいえば披露宴は一週間も続いたようです。日本でもそうですが、人々にとってこのお祝いは特別な楽しみの時で、その間、人々は共に大いに喜び楽しみました。そして、その喜びと楽しみの中心にぶどう酒がありました。ところが、お祝いの真っただ中でそのぶどう酒が尽きてしまったのです。その理由の一つに、イエスの弟子たちが大勢押しかけたからという説も言われています。諸説ありますが。とにかく、イエスも弟子たちもお祝いに参加し、結婚の喜びと楽しみを共にしたのでした。
それにしても、結婚式の主催者側としては、集まってくれたお客に対して大変な失態となってしまいました。せっかくの喜びの席が台無しになりかねない事態でした。
そして、そこに(2節)「イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれ」ていたことが大切なのです。イエスをお招きして、イエスがそこにおられていたので、問題が発生しましたが、大丈夫なのです。
聖書は教えます。(ロ―マ8:28)「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」と。少し聖書をさかのぼりますが、(ロ―マ5:3)「患難さえも喜んでいます」と。それは、私たちが患難を喜べるのは、神が私たちの品性を養うために人生の困難やサタンの攻撃を用いておられます。ですから、パウロは成長するための機会を神に感謝し、神の力によって、それらに対処しようと勧めています。
ですから、どんなときもイエスとともに生きようと努めることが問題解決のカギなのです。祝いの席に招かれていたイエスがこの問題を神の栄光へと変えられたのでした。
Ⅱ.「マリヤの信頼と僕らの従順」
この結婚式で母マリヤは主催者としての何らかの責任ある立場であったようです。つまりお祝いの席を守る立場にありました。そこで、彼女はこの問題をすぐにイエスに訴えました。イエスが必ず何かをしてくれると信じていたからです。これまでもこのようなことが何度もあったのでしょう。まず、母マリヤのイエスに対する揺るぎない信頼がありました。
①「イエスにありのままを訴える」
ああしてください、こうしてください、何とかしてください、というのではなく、マリヤは現在の問題をありのままを、簡潔にイエスに告げました。全幅の信頼があったからです。しかも、イエスがなされることがどのようなことであっても必ず最善を成されるという信頼です。イエスの返事は、拒絶というのではないとしても、決して良い返事ではありませんでした。しかし、マリヤの一貫した信頼に変わりはありません。
②「手伝いの者たちに備えを言いつける」
さらに、マリヤの信頼は、手伝いの者たちにイエスの言われることは何でもするようにと、前もって言いつけるところにも表れました。困難や危機の中でなすすべもなく無為に過ごしたり、また怠惰であってはなりません。主に信頼し、期待し、今なすべきことを成し遂げることが大切です。
➂「手伝いの者たちの従順」
手伝いの者たちは、マリヤに言われたように、また、イエスが命じられたように、誠実かつ忠実に、すべての水がめに縁まで水を一杯入れました。もし、こんなことに何の意味があるかと問い、不信感を持つなら、このようなことは決してできません。行ったとしても適当なところで役割を済ませたことでしょう。彼らはその立場に徹して、言われた通り誠実かつ従順に働きました。そして彼らもまた自分たちの理解を超えてイエスがなされることへの期待があったのではないでしょうか。その期待は見事に答えられたのでした。(9節)「水をくんだ手伝いの者たちは知っていた」のでした。奇跡を行われたのはイエスですが、その技に参加したマリヤの信頼と手伝いの者たちの従順がありました。
マリヤの信頼と弟子たちの従順、そのことを聖書は教えます。マリヤの信頼については(マタイ6:7)「祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです」と。呪文のように同じことばを繰り返しても、祈りが聞かれる保証とはなりません。同じ願いごとを持って何度も神の所へ行くのは悪いことではありません。イエスは根気強い祈りを奨励しておられます(ルカ18:1~8)。誠実さのない祈り、神への信頼のない祈りを非難されたのです。祈りに心からの神への信頼があるなら、必要以上に祈るはずがないのです。
また弟子たちの従順についても(マタイ6:33)「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」と。人生において神を第一にし、神の願われることで考えを満たし、イエスと良い関係を保ち、他の人々を愛することで、人、物体、目標など、これらの利益はすべて副産物として与えられます。
Ⅲ.「水がぶどう酒に変わるとは」
手伝いの者たちが汲み、持っていった水は、変化して良いぶどう酒になりました。ぶどう酒を味見した宴会の世話係は、その素晴らしい味わいに驚いて花婿を呼んでほめました。このようにイエスはマリヤの訴えに応えて水をぶどう酒に変え、婚礼の危機を助けられました。確かにそれが奇跡の直接の目的でした。しかし、この奇跡にはそれ以上の意味がありました。(11節)「弟子たちはイエスを信じた」と。この奇跡の本当の意味と目的は、この奇跡を通して神の栄光が現され、弟子たちがイエスを神の子、救い主と信じるためです。イエス・キリストは人間の罪を赦し、死からいのちへと救うことのできる神であり、救い主であるということを分からせるためでした。人間のたましいの救いほど大きな変化をもたらす奇跡はありません。彼らはイエスをキリストと信じ告白する者へと変えられていったのです。
勧め)「変化をもたらすキリスト」
皆さん、本日のテキストからメッセージをお語りさせていただきましたが、いかがお聞きになられたでしょうか。皆さんは本日のメッセージをどう感じ、どう考え、どのように祈りにつなげていかれるでしょうか。
危機の中で、キリストは私たちの状態を必ず変え、私たちを変貌してくださいます。それは、すばらしい経験です。私たちは、主なるイエスに全く信頼し、キリストの変革をいただきましょう。
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