葛西説教20241117
1.テキスト「創世記7:1~24」
2.タイトル「大洪水」
3.中心聖句「創世記7:5」
4.本文「大洪水」
序)「ノアの大洪水は歴史的事実?」
聖書が教えるこのノアの大洪水が、局地的、地域的なものか、あるいは全地球的なものなのかについては様々な意見があり諸説あります。
しかし、古代オリエントの地域だけでなく、世界の各地には多くの洪水物語があります。また、地質学的にも大洪水の形跡が世界各地で発見されているそうです。これは考慮すべき点でしょう。
ですから、聖書の記事を神話とする否定的な意見は、現時点では一意見なのです。ノアの洪水が歴史的事実であることに、クリスチャンは確信をもってもいいのではないでしょうか。
聖書はノアの洪水の出来事を通して、大洪水を単なる自然現象としてではなく、人の罪に対する神のさばきとして教えます。三つの神からのさばきのメッセージなのです。
本論)「大洪水」
Ⅰ.「予告されたさばき」
大洪水、それは神からの「予告されたさばき」でした。
創世記6章で神が洪水を予告されてから、ノアは神に命じられたように箱舟を造り始めました。聖書に記されているような大きなものを当時のつたない技術で造るとなると、かなりの長い期間が必要であったと考えられます。それは聖書の記述によると最長100年にも及ぶと考えられています。ノアが500歳の頃に息子たちが生まれ、実際に洪水が起こったのは600歳の時であることからそのように推察されます。この間、人々はノアの造船作業を見聞きしていたでしょうし、ノア自身も洪水が起こることを人々に伝えていたでしょう。しかし、ノアには兄弟姉妹がいましたが、彼らさえも箱舟には入りませんでした。ノアの父のレメクは、聖書に(創世記5:30)「レメクはノアを生んで後、五百九十五年生き」とあるので、幸か不幸か、洪水の5年前に死んでいます。
神からの(創世記6:17)「地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。それで今わたしは、彼らを地とともに滅ぼそうとしている」との神のさばきの警告のことばは、多くの人々にとって耳障りでした。彼らは神から警告されても、真剣に聞こうとしませんでした。主なるイエスも、同様なことが将来起こると警告されました。(ルカ17:26.27)「人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました」と。聖書は終始一貫、神のさばきの警告を教えます。しかし、現在、どれほどの人々が神の警告のことばに耳を傾けているでしょうか?
Ⅱ.「み旨によるさばき」
2番目に、大洪水、それは神の「み旨によるさばき」でした。
箱舟が完成した頃、神は再びノアに、(1節)「あなたとあなたの全家族とは、箱舟に入りなさい」と言われました。ただし、「すべてのきよい動物」と「空の鳥の中から」は、「雄と雌、一つがいずつ」ではなく、「雄と雌、七つがいずつ」取るように命じられています(2.3節)。舟に入った動物は、全部でほぼ45,000匹と推定されています。それらは彼らの食用となっただけではなく、8章20節に記されているように、水が引いたのち、神に犠牲として献げられました。さらに神は、(4節)「地の上に四十日四十夜、雨を降らせ」ると告げられました。そして、(5節)「ノアは、すべて主が命じられたとおりにした」のでした。大洪水のさばきは、天地の支配者である神のみ旨によって起こされました。ノアはただ神のみ旨に従うだけでした。
7日間、ノアとその家族は動物を箱舟に入れるのに必死であったでしょうか?いいえ、実際はノアと同じように、動物にも神から船に入るように命じられていました。(6:20)「各種類の鳥、各種類の動物、各種類の地をはうもの・・・(は)あなたのところに来なければならない」と。ノアが与えられた仕事に励む間、神がその他のことを処理されたのでした。私たちは真逆に、自分には制御できない事の詳細を心配して病んでしまい、制御可能な事を仕損じることはないですか?私たちもノアのように、神から自分に与えられた仕事に集中して、その他の事は神にお任せしましょう。
ノアは神のさばきから救われてほしいと、親せきや友人たちに必死に訴えをしたかもしれません。残念なことに、箱舟に入る人はいませんでした。そして、全ての動物が入った後、(16節)「主は、彼のうしろの戸を閉ざされた」のでした。これは、救いの時が完了した決定的瞬間でした。ノアの意志ではどうすることもできない時、神に委ねざるを得ない時でした。
神のさばきの日、聖書はその日を「主の日」と呼びます。旧約聖書における「主の日」は、主が圧倒的な力をもって直接介入される時を指す用語です。そして究極的には、主が来られる「終末」の時を意味しています。また「終わりの日」(イザヤ2:2、エレミヤ23:20、48:47、ホセア3:5、ミカ4:1)、「その日」(イザヤ11:10、エレミヤ33:15、ヨエル1:15)とも呼ばれています。主の日の到来により、聖霊の授受(ヨエル2:28.29)、敵のさばき(ゼカリヤ14章)、イスラエルの栄光(アモス9:11~15)、平和の確立(イザヤ2:2以下)、新天新地の確立(イザヤ66:17)が起こります。
新約聖書においても記されていますが、それはまたの機会にお話します。
Ⅲ.「徹底的なさばき」
最後に、大洪水、それは神の「徹底的なさばき」でした。
洪水の原因は、(11節)「天の水門が開かれた」との表現で示される大雨ばかりではありませんでした。(11節)「巨大な大いなる水の源」とは、巨大な地下水脈のことだと考えられています。あるいは、海面の突然の隆起だという説もあります。あるいは、巨大津波のようなものだったのでしょうか。それが40日間にも続き、(19節)「高い山々も、すべておおわれた」という表現も、神話的な誇張表現だと断定することはできないでしょう。その結果、(21節)「地の上を動いていたすべての肉なるものは、鳥も家畜も獣も地に群生するすべてのものも、またすべての人も死に絶えた」のでした。徹底的な神のさばきの描写です。
聖書は、次のさばきは水ではなく火によって行われると言います。(Ⅱペテロ3:10)「その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます」と。この預言のことばは、将来、必ず起こります。正義の神は、悪を徹底的にさばかれることを心に刻みましょう。
勧め)「大洪水」
皆様は、本日の聖書からのメッセージをどのようにお聞きになられたでしょうか?そしてどのように感じられ、考えられて、祈りへと導かれるでしょうか?
聖書は、今の世界に警告しています。それは、私たち人間が悪を離れて正しく生きるためです。神を無視して悪を行っている人は、必ずさばかれます。しかし、罪を悔い改めて主なるイエスを信じ、箱舟に入るように、十字架のもとに逃げ込むなら、さばきから救われるのです。聖書は全世界の人類に呼びかけ続けています。(Ⅱコリント6:2)「今は恵みの時、今は救いの日です」と。ですから、いつか「恵みの時」、「救いの日」が完了し、「主の日」が訪れることを忘れてはならないのです。
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