葛西説教20241124
1.テキスト「ヨハネ書3:1~15」
2.タイトル「新しく生まれる」
3.中心聖句「ヨハネ書3:3」
「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
4.本文「新しく生まれる」
序)「はじめに」
人が救われる時、義認と同時に新生の恵みが与えられます。義認は神の前に(マタイ11:15、21:16、マルコ9:37、ルカ10:21、18:16)「幼子」のように素直に立つ罪人を、神が(レビ16:13、箴言10:12、17:9、イザヤ26:21、Ⅱコリント12:9、ヤコブ5:20、Ⅰペテロ4:8)「おおって」くださるいわば外側からの恵みであるのに対し、新生は人が(ローマ12:2、テトス3:5)「一新(更新)」され続く内側の恵みということができます。
あの有名な祈りと信仰の人、ジョージ・ミューラーも、かつてはお酒や賭けカードにおぼれて、16歳で刑務所に入れられました。出所してからも外側はまじめに取り繕いますが、不良仲間と遊び歩く生活でした。しかし、友人がクリスチャンになったことをきっかけに、20歳で悔い改め、新しく生まれ変わりました。そして1万人以上のみなし子の父親となりました。新しく生まれること、それは素晴らしい人生を人に約束するのです。
Ⅰ.「新しいいのちの新しさ」
新しいいのちの新しさがどれほどのものか、ヨハネは第一の手紙に(Ⅰヨハネ3:9)「だれでも神から生まれた者は、罪を犯しません」と教えます。新しく生まれた人は、本来罪を犯しません。私たちが罪を犯すのは、いのちが不十分だからではありません。問題は私たちがこのいのちの新しさを十分に知らずに、このいのちに十分に生きていないことにあるのです。罪を犯さないためには、神から生まれた者がキリストに(Ⅰヨハネ3:6)「とどまる」ことが必要です。キリストにとどまるために、神に取り扱われ、そのようにできない自分を神に差し出すことが求められます。けれども、新しいいのちそのものは十分なのです。新しく生まれることがそれほどの恵みであることに、まずは気づき、神を賛美し、神の御名をあがめましょう
Ⅱ.「神のいのち」
(ヨハネ3:3)「新しく生まれ」るということばは「上から生まれ」るとも訳すことができます。救いにあずかる者は、「上から」、すなわち神から生まれた人なのです。パウロは、エペソ書で新しいいのちを(エペソ4:18)「神のいのち」と呼びます。私たちは、義認により天国の戸籍上の神の子とされたと言えます。けれども、それにとどまらず、神は私たちを、血を分けた子どものように、ご自分に似た者とさせたいのです。
罪を犯さない聖さは、神のご性質です。私たちはどんなに心を入れかえたところで、また努力したところで、自らを聖くすることはできません。神のいのちを分け与えていただくという恵みによって、初めて聖化の恵みが始まるのです。
また、神のもう一つのご性質は、永遠です。新しいいのちが(15節)「永遠のいのち」であるのも、それが神のいのちだからです。私たちは神のいのちによって、神の永遠を分け与えられているのです。
Ⅲ.「キリストの十字架」
そして私たちが、新しい、神のいのちにあずかることができるのは、キリストの十字架によります。それはイエスが14節で教えられたように、荒野で(民数記21:9)「蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた」いのちなのです。そのために、イエスは(14節)「人の子もまた上げられなければなりません」と教えられました。その通りに、ご自身を十字架でお献げされました。ですから、私たちは(ヘブル12:2)「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないで」生き続けましょう。そしてこのいのちの福音を人々に宣べ伝えましょう。
勧め)「新しく生まれる」
本日はヨハネ書から「新しく生まれる」というタイトルでお語りさせていただきました。皆さまはどのようにお聞きになられたでしょうか?またどのように感じ、どのように考え、どのような祈りに導かれたでしょうか?
(4節)「どのようにして生まれることができるのですか」というニコデモの反応は、全く自然なことでしょう。けれども、彼もまた超自然的な新生の恵みを体験しました。(8節)「風はその思いのままに吹き」とあるように、私たちには不思議に思える(15節)「新しいいのち」を、神の御霊は与えることができます。どんなに困難に思える環境にも、魂にも、御霊は届くことができます。そして風が吹けばその音を聞くように、神のみわざは確かなものなのです。
クリスチャンの信仰とは、教理への納得だけではなく、感情的な高ぶりだけでもありません。ましてやご利益目的目当ての保険でもありません。クリスチャンとは、老いも病も弱さも決して奪い取ることができない、新しいいのちに実際にあずかった者です。神学者のウェスレーはこのいのちにあずかるために、積極的に待ち望むように教えました。神の恵みが、いつどのように与えられるかは、私たちにはわかりません。だからこそ、教会へ、集会へと励み、聖書を調べ、祈りつつその聖霊の風のような働きの恵みを待つのです。
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