葛西説教20241201
1.テキスト「ルカ書1章8~25節」
2.タイトル「祈りで備えるクリスマス」
3.中心聖句「ルカ書1章13節」
「あなたの願いが聞かれたのです。」
4.本文「祈りで備えるクリスマス」
序)「聖書記者ルカの語るクリスマス」
本日からアドベント(待降節)に入ります。今年はルカ書から主なるイエスのご降誕の意義について学んでいきたいと思います。福音書の聖書記者のルカはユダヤ人ではありませんが、パウロの伝道旅行について行ったので、イエス・キリストの地上でのご生涯について多くの情報を集めることができました。彼は医者であり、当時の世界の共通語であるギリシア語を巧みに用いる知識人でした。
ですから、本日のテキストのルカ書は異邦人のために、わかりやすい物語形式で書かれているので、私たち日本人にも親しみやすいと思います。
本論)「祈りで備えるクリスマス」
Ⅰ.「人間の願い」
物語はまず、一人の老人の登場から始まります。名前はザカリヤです。彼は田舎の祭司にすぎませんでしたが、ルカ1章5節にあるように、彼の妻エリサベツは由緒正しいアロン家の出身でした
この夫婦には一つの悩みがありました。それは7節にあるように子どもがいない事でした。当時の人々は、子どもが与えられることは神の祝福であり、子どもが与えられないのはその夫婦に罪があるためだと考えられていました。ザカリヤもエリサベツも(6節)「神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行っていた」ので、何とかそのように見られることを避けたかったのでした。ですから、ザカリヤは熱心に子どもを与えてくださいと、神に願い続けたことでしょう。しかし、この頃には(7節)「ふたりとももう年をとっていた」のでした。ザカリヤは祈りつつも、ザカリヤの(18節)「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております」とのみ使いへの返事のことばに表れているように、ほとんどあきらめていたのでした。
ところが、ある日驚くべきことが起こりました。その週はザカリヤの属するアビヤ組がエルサレムの神殿で仕える当番となりました。そして聖所に入る祭司を決めるくじを引いたところ、ザカリヤに当たったのでした(8~9節)。当時、祭司が2万人ほどいたと言われていますので、その名誉ある務めは一生に一度できるかできないかという特別な務めでした。それだけでも驚きのことですが、さらに、聖所でザカリヤが香をたいている時に(11節)「主の使いが彼に現れて」、(13節)「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます」と告げられたのでした。
「ザカリヤ」という名前の意味は、「主は覚えておられる」です。まさに主なる神は彼の祈りを覚えて、応えてくださっていたのでした。ここで、ザカリヤから私たちが学ぶべきことは、「私たちの肉体的制限は、神を制限しない」ということです。このことを覚えながらトラクト配布をしましょう。
Ⅱ.「神のご計画」
ルカの福音書はイエス・キリストの生と死、そして復活を証しするために書かれました。その冒頭にザカリヤの話があるのは、彼がキリストのご降誕のために用いられた人物の一人であったからです。神は「時間」を支配されるお方で、御子イエスを中心とする救いの歴史の歯車を一つ一つ組み合わせて、動かしておられるのです。ルカはその真理を伝えています。神は「時間」を創造されたお方です。神学者アウグスティヌスが言うように創世記1章1節において、そこで世界は時間の中で創造されたのではなく、世界は時間とともに創造されました。預言者イザヤも神と「時間」の関係について教えます。(イザヤ41:4)「わたし、主こそ初めであり、また終わりとともにある。わたしがそれだ」と。神は過去、現在、未来を把握されています。そして時間も被造物も初めがあり、また終わりがある存在なのです。
ですから、もし皆様が未来について思い悩む時、神に相談すべきなのです。それは神が未来のことも過去のことのようによく知っておられるからです。
すでに希望を失っていたこの一人の老人を、神はご自身の壮大な計画の実現のために選び、お用いになられました。ザカリヤ夫婦から生まれ出る子の名前は「ヨハネ」で、「主は恵み深い」の意味でした。その生まれて来る子どもは、イエスの宣教の備えをするのでした(17節)。彼は預言者マラキが預言したように、エリヤのような力ある預言者となるのです(マラキ書4:5)。ヨハネは(15節)「ぶどう酒も強い酒も飲ま」ない終身のナジル人として聖別されており、「母の胎内にあるときから聖霊に満たされ」ていたのでした。
Ⅲ.「人の沈黙・神のみわざ」
確かに、ザカリヤは子どもを祈り求めていました。しかし、彼は主の使いのことばを、にわかには信じることができませんでした。それはすでに年老いていたからでした(18節)。その不信仰のゆえに、主の使いのガブリエルは彼の口がきけないようにしました(20節)。祭司は聖所での勤めを終えた後に、集まった会衆のために大祭司アロンの祝福のことば(民数記6:24~26)を唱えなければなりませんでしたが、ザカリヤは沈黙し、これを果たせませんでした(22節)。しかし、彼は驚くべき神のみわざを見ることになるのです。妻エリサベツは子どもを身ごもりました(24節)。彼女は主を賛美しました。(25節)「主は、人中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださいました」と。神は偉大な全能者、(詩篇96:4)「主は・・・賛美されるべき方」なのです。
このエリサベツのように、私たちが神の慈しみについて深く考えるとき、人々に神について話さずにはいられなくなるのです。神がしてくださったことに対する感謝の気持ちで心が満たされるとき、証しは自然とできるものなのです。
神は私たちを、(Ⅰ歴代誌16:24、詩篇96:3)「主の栄光を国々の中で語り告げ」させるためにお選びになられたのです。私たちもエリサベツのように、どれだけの人々に神の偉大さを伝えているでしょうか?
勧め)「祈りで備えるクリスマス」
皆様、本日の聖書のお話をどのようにお聞きになられたでしょうか。そしてどのように感じられ、どのように考えられたでしょうか。どうか、神への祈りに導かれますように。
私たちは神の全能の力を本気で信じているでしょうか?祈りが応えられることを本気で期待しているでしょうか?自己中心や人間のわがままのためではなく、神のみわざが進められ、栄光が現されるために、神は私たちを用いてくださいます。時には黙らされることも恵みなのです。どうか、神のみわざを見て、喜ぶ者とさせていただきましょう。
また、この葛西福音キリスト教会でのクリスマスが、すばらしいクリスマスとなるように、祈りで備えさせていただきましょう。
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