(お詫び。本日の説教は早朝に一部加筆しました。ビデオ版と書面版で異なります。)
葛西説教20241208
1.テキスト「ルカ1:26~38」
2.タイトル「クリスマスのみ告げ」
3.中心聖句「ルカ1:28」
4.本文「クリスマスのみ告げ」
序)「はじめに」
主なる神はこの世界においてみ旨を進めるために、人を選んでお用いになられます。神の独り子イエスを人間として遣わされるという歴史上最大のみ旨のために、神は一人の女性をお選びになられました。その名はマリヤでした。本日は、この特別な恵みにあずかったマリヤの信仰に教えられ、私たちの信仰生活、教会生活に生かしたいと願います。
本論)「クリスマスのみ告げ」
Ⅰ.「恵みのみ告げ」
マリヤの親類のエリサベツが妊娠6か月の時に、天使ガブリエルがマリヤに現れました。エリサベツはアロン家の出身であり(5節)、マリヤのいいなづけのヨセフは、ダビデ家の出身でしたが(27節)、マリヤ自身は社会的に何ら特別な人ではありませんでした。彼女は自らを(48節)「卑しいはしため」と言っています。彼女はとても謙遜な人であり、神を畏れる敬虔な人でした。当時のユダヤでは、男性は18から20歳、女性は12から14歳くらいで結婚したそうです。ですから、この時点ではまだ婚約中の身なので、今の日本でいえば、彼女は小中学生であったとも考えられます。ですから、年齢的にはとても若かったし、未熟な部分もあったことでしょう。しかし、神はあえてこの少女を選ばれたのでした。
御使いは言います。(28節)「おめでとう、恵まれた方」。(30節)「マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです」と。これから起こることは難しい問題を含んでいますが。ともかく神の御子を体内に宿し、出産し、育てるということは、空前絶後の恵みでした。(ヤコブ書4:6)「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる」、この世の立場とは逆転させる神の恵みの不思議を、マリヤは歌っています(46~55節)。
マリヤは当時の人々にとっては、神の大事な仕事に用いられるとは思えませんでした。しかし神は、これまで人に要求した最も重要な従順な行いの一つをさせるために、マリヤを選ばれました。あなたは、自分の能力や経験や教育を見て、神の奉仕にふさわしくないと感じているかもしれません。しかし、神の選択を制限してはなりません。あなたがなすべきことを神は考えておられます。神を信頼するなら神はあなたを用いることができます。
Ⅱ.「臨在のお告げ」
御使いは告げます。(28節)「主があなたとともにおられます」と。(29節)「マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ」のでした。マリヤは思慮深い少女でしたが、御使いのみ告げの内容は、とても考えつかないようなことでした。(31節)「ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい」でした。マリヤは非常に驚いて、尋ねます。(34節)「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに」と。彼女は処女なのだから、こう言うのは当然ですよね。
しかし、これから起こることは人間の常識を超えます。そもそも永遠無限の創造主なる、子なる神が人間になるということ自体、あり得ない話です。しかし、そこまでしなければ人類は救われようが無いので、あえて父なる神は、御子を人間の胎児としてマリヤの胎内に送られたのでした。
御使いはマリヤに説明します。(35~37節)「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは一つもありません」と。神は天地を創造し、動物や人間にいのちを吹き込まれた全能者です。テクニカルなことは問題ではありません。論より証拠です。老女エリサベツも妊娠しました。マリヤにはさらに特別な聖霊臨在の恵み、インマヌエルの恵みが与えられたのです。
特別な子供の誕生を告げる神の告知は、聖書の至る所で様々な反応を受けました。アブラハムの妻サラは笑い(創世記18:9-15)。ザカリヤは疑い(ルカ1:8)。それとは対照的に、マリヤは素直に服従しました。彼女は、人間の力では不可能な状況においてでさえ、主の使いのことばを信じ、子どもを生むことに同意しました。神は、不可能なことがおできになる。神の要求に対する私たちの反応は、笑うことでも疑うことでもなく、喜んで受け入れることであるべきです。神は何か大いなることをしようとしておられるからです。
Ⅲ。「御霊の告げ」
当時の花嫁は処女であることが結婚の絶対条件でした。石打の刑とまでいかなくても(申命記22:23~24)、マリヤは離縁され、社会的に冷遇されるのが常であったでしょう。しかし、そのような事態を予想しつつも、マリヤは(38節)「私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」と言って無条件で神に従いました。このマリヤこそ、ゲッセマネからゴルゴダへ向かわれた主なるイエスの母にふさわしい女性でした。イエスはゲッセマネで祈られました。(ルカ書22:42)「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」と。
御使いは壮大な神の計画を告げます。(32~33節)「その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません」と。マリヤの理解度はともかく、彼女の従順によって、神のみ旨は大きく進展したのでした。
イエスは完全に人であると同時に、完全に神であられました。イエスは人として生きられたので、私たちの経験や苦しみを完全に理解してくださいま(へぶる4:15-16)。イエスは神であられるので、人々を罪から救う御力と権威があります(コロサイ2:13-15)。人々は、自分の考えや気持ち、必要のすべてをイエスに伝えることができます。イエスは、あなたがいるところにおられたことがあり、あなたのことが本当に分かっていて、助けることがおできになります。
勧め)「クリスマスのみ告げ」
皆様は本日の聖書からのメッセージをどのように聞かれたでしょうか?どのように感じ、どのように考えられたでしょうか?どうか、皆様が、深く神への応答の祈りをささげられますように願います。
マリヤは特別な人ではなく、私たちと同じ普通の人でした。しかし、彼女は年若くして、すぐれた信仰を持ち、神に用いられました。クリスチャンは神を信じるだけでは十分ではないのです。神に信任され、用いられる主の弟子とさせていただきましょう。また、神のことばを信じて、従い続け、神に用いられる教会とさせていただきましょう。そして、神を信じる人々をこの東京から、皆様の友人、家族の中から起こすことができる教会とさせていただきましょう。
葛西福音キリスト教会 関連ホームページ