葛西説教20240414
1.テキスト「ルカ2:21~40」
2.タイトル「その名はイエス」
3.中心聖句「ルカ2:21」
4.本文「その名はイエス」
序)「二つの強調点」
本日のテキストにはルカの大きな強調点が二つみられます。まず律法を遵守し神を畏れ敬う人たちの行動がみられます。マリヤとヨセフ、シメオン、そしてアンナはそれぞれ旧約的敬虔な信仰に生きていました。御子イエスもまたユダヤ文化の中で成長されました。
もう一つの強調点は、マリヤの子、イエスに関する預言です。
なお、本日のテキストは、時間的にはクリスマス物語の一部分です。出産後のマリヤはすぐ動くことは無理なので、ヨセフとともにベツレヘムに滞在を続け、出産から40日目にエルサレム神殿に上りました。今でいう献児式をするためでした。この出来事の後、東方の博士たちがやってきたのでしょう。
本論)「その名はイエス」
Ⅰ.「人としてのイエス」
出産の日から数えて8日目に割礼をほどこすことは、レビ記12章で命じられていることであり、その日に名前もつけられました。バプテスマのヨハネの場合も全く同じでした(1:59)。それは(21)「御使いがつけた名」、イエスという名前でした。み使いはマリヤにもヨセフにも、その名を告げていました(1:31、マタイ1:21)。イエスはヘブル語のヨシュア(「主は救い」との意味)のギリシャ語発音です。この名はユダヤではありふれた名前でした。日本でいえば、「鈴木」「田中」と言えば分かりやすいのでしょうか。神の子であるお方が、普通の人と同じように名づけられたばかりか、罪びとが受ける割礼も同じように受けられたのです。さらにレビ記12章に従って、もう33日間の(22)「きよめの期間が満ちたとき」、きよめのための犠牲がささげられました。しかもそれは、最も貧しい人々がささげる犠牲でした。
主なるイエスは、私たちと全く同じ人間となられたことを忘れてはなりません。そうでなければ、罪ある人間を救うことはできないからです。イエスは(ヘブル2:17)「すべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです」と言われている通りです。
Ⅱ.「救い主イエス」
シメオンの賛美の中には、イエスの生涯の意義が示されています。彼は聖霊の3重の働きによって(25~27節) 「聖霊が彼の上にとどまって」、「聖霊のお告げ」、「彼が御霊に感じて」神殿に入り、イエスを連れた両親と会いました。そして、この幼子は、神が(31.32)「御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄」と賛美したのでした。彼は(25)「イスラエルの慰められることを待ち望んで」いましたが、聖霊によって、幼子イエスが異邦人も含めた万民の救い主であることを示されたのでしょう。そして聖霊の導きがあったからこそ、女性預言者のアンナも(38)「ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った」のでした。
人となられたイエスは、また同時に聖霊によって生まれた神の一人子でした。100%の人でありつつ、100%の神であったからこそ、救い主なのです。それゆえ(使徒の働き4:12)「天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです」。
Ⅲ.「犠牲となられたイエス」
シメオンがマリヤに話したことばは、もう一つ重要な意義を持っています。(34.35)「この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現れるためです」。これはイエスが十字架で人々の罪の身代わりとなられることの預言でした。生後40日のわが子を前にして、この預言を聞かねばならなかった母マリヤは、どのような気持ちだったでしょうか。
しかし、これがイエスの使命でした。神であるお方が私たちと全く同じ人となり、罪人の受ける神のさばきを身代わりとなって受けることこそ、神のご計画でした。イエスご自身が犠牲となられたのです。神は(ローマ8:3)「御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです」。この真理を受け入れない人は倒れますが、受け入れる人は立ち上がるのです。マリヤはこの時の様子を決して忘れることなく、イエスの十字架と復活の後、誰か、それはルカなのかもしれませんが、誰かに語ったと思われます。この献児式は、イエスがどういうお方であるかを暗示するものでした。
結論)「その名はイエス」
イエスというその御名は、私たちにとって特別の名前です。喜びの時も、悲しみの時も、この御名を呼び求めましょう。単に名前を呼ぶのではなく、このお方の姿を思い起こしましょう。罪びとと等しくなり、その罪を背負ってくださったそのお姿を。
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