葛西説教20240512
1.テキスト「ルカ3:1-6」
2.タイトル「主の道を備える」
3.中心聖句「ルカ3:4」
「主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ」
4.本文「主の道を備える」
序)「私たちの心に住む者?」
私たちの心、その心の中心にいるのは、悪い悪魔、それともきよくて優しいイエス、聖霊?どちらが住んでいますか。すべての人の心の中にもイエスであり聖霊に住んでいただきたいですね。そのために必要な準備があります。第一に心の中の罪を全部イエスに告白。第二にもうしないと決心する。第三にイエスの十字架によって罪が赦されていると信じることです。
バプテスマのヨハネの働きはその必要な準備を進める「荒野の声」でした。私たちは「荒野の声」として生きているでしょうか?
本論)「主の道を備える」
Ⅰ.「時の備え」
ルカは他の3福音書が書いていない、バプテスマのヨハネの登場の時期を正確に記しています。「皇帝テベリオ」とは、初代ローマ皇帝アウグスト(2:1)の後継者で、紀元14年に即位しました。それゆえに彼の「第15年」とは紀元28年頃だと思われます。彼はアウグストによって確立された「ローマの平和」を維持するため、巧妙な政治を行い、反抗的なユダヤ人に対しても、寛容な政策をとったそうです。「ガリラヤの領主」ヘロデ(イエスの誕生時のヘロデ大王の息子)は、この皇帝に敬意を表して、ガリラヤ湖西岸の町をテベリヤと名付けたために、この湖はテベリヤ湖とも呼ばれていました(ヨハネ6:1、23)。
ヨハネはこのような比較的落ち着いた時期に登場し、(3)「罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説いた」のでした。悔い改めこそ、信仰に先立つことだからです。悔い改めが徹底していなければ、本当の信仰は生まれません。そういう意味でも、ヨハネは、イエスの道備を行った人物でした。
Ⅱ.「地の備え」
ヨハネが神のことばを受けたところは「荒野」であり、またその宣教の働きが(ヘロデの支配していたガリラヤ湖に近い)「ヨルダン川のほとりの全地方」であったことも、重要な意味をもっていました。もし彼の活動の場が、エルサレムやその近辺であったなら、エルサレムに住んでいた当時の宗教権力者たちは、すぐに彼の教えを問題視したでしょう。それは彼がユダヤ人の選民思想に対して厳しい批判をしていたからでした(8)。彼は、当時一般的だった異邦人の改宗のしるしであるバプテスマを、ユダヤ人にも広げて授けていました。
イエスは、ヨハネが備えていたガリラヤ地方でその宣教を始められ、そこを活動の中心とされました。しかし、その地方だけにとどまられたのではありません。さらにイスラエル全土とエルサレムにも働きの場を広げられています。
Ⅲ.「人の備え」
これが最も大切な備えですが。ヨハネ自身が、神から遣わされた備えの人でした。何々の年、(2)「神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った」という表現は、エレミヤ1:2やエゼキエル1:3にも出て来ます。
(エレミヤ1:2)「アモンの子、ユダの王ヨシヤの時代、その治世の第十三年に、エレミヤに主のことばがあった」。
(エゼキエル1:3)「カルデヤ人の地のケバル川のほとりで、ブジの子、祭司エゼキエルにはっきりと主のことばがあり、主の御手が彼の上にあった」。
ですから、これは預言者の働きの最初に用いられる定型句なのです。彼は(4)「預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおり」に、(4)「主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ」と命じられている人物です。救い主がおいでになられる時のために、その通られる道を用意する働きが、この人物に求められています。
4節のイザヤの預言は他の三福音書もみな同じように記しています。しかし、ルカだけは、(6)「神の救いを見るようになる」というイザヤ40:5まで引用しているのはなぜでしょうか?異邦人であったルカは、この救い主がユダヤ人だけではなくすべての人の救い主であることを、強調したかったのです。
この全人類の救い主の先駆けとして、バプテスマのヨハネは登場しました。誕生も6か月も早く、公の場に登場したのも早かったのです。だが彼は自分の限界をしっかりと見極めていて(16)、自分が(4)「荒野で叫ぶ者の声」にすぎないことを自覚していました。声はすぐに消え去ってしまうが、ことばは残ります。受肉した「神のことば」であるイエス・キリスト、「いのちのことば」であるお方こそが、いつまでも残ることを忘れてはいけません。
結び)「主の道を備える」
私たちも、ヨハネの証しの声を、しっかりと聴きましょう。また、私たち自身も「声」となりましょう。神のことばは、人の声によって証しされるからです。だから、伝道や証し、祈祷会や礼拝でも、私たちの声が必要とされています。人の永遠のいのちを左右する重要な働きの一部を、私たちは委ねられているのです。どうか、皆様、私たちは大胆に伝道し、証ししようではありませんか。
バプテスマのヨハネの働きはその必要な準備を進める「荒野の声」でした。私たちも「荒野の声」として生きさせていただきましょう。
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