葛西説教20240609
1.テキスト「ダニエル1章1から21節」
2.タイトル「偶像からの脱出」
3.中心聖句「ダニエル1:8」
「ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。」
4.本文「偶像からの脱出」
序)「神が主導したバビロン捕囚、なぜ?」
(2節)「主がユダの王エホヤキムと神の宮の器具の一部とを彼の手に渡されたので、彼はそれをシヌアルの地にある彼の神の宮に持ち帰り、その器具を彼の神の宝物倉に納めた。」と。神はそのみわざが損なわれることをお許しになられます。この時バビロニア人たちは、神の神殿から祭具類を強奪し、バビロンにある神々の宝物庫に納めました。神を愛する者たちは落胆したことでしょう。
本日のテキストから、私たちも自分たちの教会が物理的に損害を受けたり、分裂したり、資金の問題により閉鎖の憂き目にあったり、何らかのスキャンダルで揺さぶられる時、大いにがっかりするでしょう。私たちはなぜ神がご自分の教会にこのような惨状を経験することを許されるのか、知ることはできません。しかし、バビロニア人によって神殿が略奪されている様子を見たイスラエルの人々のように、私たちもまた、神がすべてを支配しておられ、神を信頼する者たちすべてを見守っておられることを信じることができるようにと願います。
本論)「偶像からの脱出」
Ⅰ.「挑戦する信仰」
ダニエルと友人のハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤたちはみな、主なる神と関係のある名前をもっていました。しかし、宦官の長がつけたあだ名は、偶像の神々と関連していました。ダニエルたちは、彼らが勝手にそう呼ぶのは仕方ないと思っていました。しかし、(8節)「王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め」ました。バビロンは古代から偶像崇拝の盛んな都市で、マルドゥクを主神として、2千5百にも及ぶ偶像の神々がありました。そのような偶像には、ほとんど肉と酒が備えられていました。その中には律法で食用を禁じられていた肉もあったことでしょう。そこから下される王の食物はごちそうであったろうし、酒も当時の最高級品だったに違いありません。しかし、ダニエルと友人のハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤたちは、偶像にささげられたと思われる食物や、律法に反する食物で、自分たちの身を汚したくなかったのです。そこで、捕囚の身でありながらも勇敢にもそれを断り、野菜と水だけを求めたのです。
ダニエルたちは、すぐにバビロンを脱出することはできません。偶像にちなんだあだ名で呼ばれることも拒否できません。捕囚の理由である偶像礼拝から真剣に離れない限り、捕囚は終わらないのです。まず、自分の欲望を神のことばより優先することが、自分を神とする偶像であることを知らなければなりません。そして、真の神を神とすることは、神のみ声を聴いて、そのみことばに従い、自らを明け渡し、みことば通りに挑戦し、導かれていくことだと知らなければなりません。ダニエルたちにとって、王の食物を拒否することは、神のみことばに聴き従い、導き出されることでした。
Ⅱ.「信仰に立った挑戦は祝福される」
宦官の長は、ダニエルらの健康状態が同じ年頃の若者たちよりも悪いと、自分の首が危うくなるかもしれないと恐れました。しかしダニエルらが、10日間で試して他の少年と比べて欲しいと彼の部下の世話役に願うと、彼はその申し出を聞き入れました。その結果、ダニエルらの顔色は王の食物を食べた全ての若者よりも美しく、肉も肥え太っていました。そこで宦官の長は、王の食べるごちそうと酒を取りやめ、野菜だけを与えることにしました。さらに、3年間の教育の後、(20節)「王が彼らに尋ねてみると、知恵と悟りのあらゆる面で、彼らは国中のどんな呪法師、呪文師よりも十倍もまさって」いました。そして彼らは王に仕えるようになりました。
真の神を信じる者は、偶像に汚されないために積極的にきよさを追求します。自分の欲望を神のみことばより優先したりしません。みことばに聞いて神の計画を知り、みことば通りに挑戦していくのです。ダニエルたちは、王の食物を拒否することに挑戦しました。これは、神の細き声に耳を傾け、将来の計画を聴き、導き出された結論です。そして、水と野菜だけでもやせ細ることはありませんでした。さらに、健康だけではなく、知恵と知識も与えられ、王に仕える者になりました。脱出の道が、そこに用意されていて、将来と希望と平安が用意されていたのでした。
(21節)「ダニエルはクロス王の元年までそこにいた」とあります。そのようにダニエルは、このような経験の後、代々バビロニア王に仕えることになります。これはまさに、神が異教の国に、ご自身の栄光をあかしさせるために、ダニエルらを用いようとするご計画の故に起こったことなのでした。
ここから私たちが教えられるのは、神のあかし人として用いられる前に、まず妥協のない神への従順と忠実さが試されるということです。そして、全ての事柄を益と変える全知全能なる神を信じ、委ねることの大切さを知ることなのです。
まとめ)「偶像からの脱出」
私たちも偶像に囲まれて生活しています。そしてそこからすぐに逃げ出すことはできないかもしれません。しかし、それらに汚されずに生きることはできるのです。まず自分が偶像礼拝から離れることです。そして、自分の欲望を神のみことばよりも優先しないことです。それから神の細きみことばに聴き、みことば通りに挑戦しましょう。その時、必ず脱出の道が示され、将来と希望と平安という祝福が与えられるのです。
名前の由来として、現在考えられているものを以下にご紹介します。
ダニエル→神は私のさばき主。
ベルテシャツァル→ベル(異教の神)よ、彼の人生を守り給え。
ハナンヤ→主は慈悲を示される。
シャデラク→アク(月の神)の指示の下に。
ミシャエル→誰が神のようであろうか。
メシャク→誰がアクのようであろうか。
アザルヤ→主は助けられる。
アベデ・ネゴ→ネゴの召使。
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