福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

2024年7月7日(日)礼拝メッセージ

「人を汚すもの」

葛西説教20240707

1.テキスト「マルコ7:123

2.タイトル「人を汚すもの」

3.中心聖句「マルコ7:20

 「人から出るもの、これが、人を汚すのです」

4.本文「人を汚すもの」

)「パリサイ人」

 今朝学ぶところは、主なるイエスに対する反対が高まって来た時期の出来事です。特にパリサイ派の律法学者は、手洗い等の儀式的な行為によって汚れが取り去られると考えていました。しかしイエスは、汚れは人間の内側から出てくるものと主張されました。ここには、汚れを取り去るのは外面的な行為か、それとも内面的な変革か、との根本的な問いが暗示されています。パリサイ人の聖書の読み方と、イエスの聖書の読み方には、大きな違いがありました。

 パリサイ人は歴史的には紀元前二世紀、中下層手工業者の熱心な律法研究家を中心に始まった一派です。呼称は「分離された者」を意味するヘブル語「パールーシュ」に語源があると考えられています。彼らは当時の社会的立場を得ていたユダヤ教のリーダーたちで、イエスの言動を調査するためにエルサレムから派遣されていました。彼らは旧約聖書の律法、厳密にいうと律法の口伝や解釈ですが、それを非常に大切にしていました。しかし、律法の中心である神を心から愛すること、また人を自分と同じように愛することを忘れていました。そして長年の伝統と歴史を重んじる余りに、数多くの規定を設けて人々を縛り、みことばの言わんとすることではなく、自分たちの伝統やこだわりを人々に押し付けていました。

 

本論)「人を汚すもの」

1.「パリサイ人の聖書の読み方」

 確かに旧約聖書のレビ記には、祭司が犠牲をささげる前に水で身を洗いきよめるべきことが記されています(レビ記8:6)。しかしこのことが律法学者によって拡大解釈されて、イエスの時代には、一般のユダヤ人の間でも汚れをきよめるために手や体を、さらには様々な食器までも洗うようになっていました。しかも市場には異邦人も数多くいたため、彼らから受けた汚れを洗い落とすことも必要とされていたのです。これらの規定は(マルコ7:3)「昔の人たちの言い伝え」として大切に守られていて、それは神の戒めよりも重要なものと見なされていました。まさにこれは、神の律法を空文化することに他なりません。

 イエスは空文化の実例をあげられました。十戒には「父と母を敬いなさい」と定められています。しかし、年老いた両親を扶養するために必要な資金は(マルコ7:11)「コルバン(すなわち、ささげ物)になりました」と言ったならば、もはや両親の面倒を見ないで済むというような言い伝えさえありました。これは民数記30:2の戒めの誤用です。

 これらのことは、イザヤが預言しているように(マルコ7:7)「人間の教えを、教えとして教え」ていることだとイエスは指摘されました。当時の律法学者は、(マルコ7:8)「神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている」愚かな人々でした。それを守りさえすれば、きよい人となるのだと思っていました。しかし儀式的な行為によって汚れを取り去ることは決してできません。

 

.「イエスの聖書の読み方」

 主なるイエスは、パリサイ人とは全く違った聖書の読み方をしておられました。イエスはもう一:つ、当時のユダヤ人の聖書の読み方に反することを明言されました。それは(マルコ7:19)「すべての食物をきよいとされた」ことでした。レビ記11章には、食べてはいけない汚れた動物のことが詳しく書かれています。それは、イエスによる救いの象徴です。たとえそのようなものを食べたとしても、最後は便として(マルコ7:19)「かわやに出されてしまう」だけであり、人の心を汚すものではありません。イエスが最も関心をもたれたのは、汚れた食物ではなく、汚れた人間の心でした。

 

.「きよい心をもって生きる」

 食べ物は人を汚しません。人を汚すのは、人間の心の中から出てくる悪い思いです。ここに列挙されている前半六つの、行為に現れた悪行と、後半六つの、心のうちにある悪徳は全て、生まれつきの人間がもっているものです。コルパンの言い伝えなどは、多くの供え物を得ようとした悪い祭司たちの貪欲や邪悪の産物だと悟るべきなのです。

 心が変革される以外に、これらの汚れを取り去る方法はありません。では誰が心を変革してくださるのでしょうか。それこそ主なるイエスです。(ヨハネ6:35)「わたしがいのちのパンです」と言ってくださる百パーセントきよいお方を食して、私たちの心の中にお迎えするなら、どんな邪悪な心もきよくしていただけるのです。

 

結論)

 あなたの心からの悪い思いが、自分と他の人を汚していませんか。自分の悪を認めて悔い改め、主なるイエスをお迎えするなら、あなたは変えられます。主なるイエスを救い主として信じ、受け入れるなら、あなたは新しい人として生きさせていただけるのです。 

東京都江戸川区東葛西6丁目37-3 福音伝道教団 葛西福音キリスト教会 かさいふくいんきりすときょうかい 
聴衆とお話しするイエス様