葛西説教20240804
1.テキスト「ヨハネ書1章19~34節」
2.タイトル「ヨハネの証言」
3.中心聖句「ヨハネ書1章26節」
4.本文「ヨハネの証言」
序)「バプテスマのヨハネ」
ほかの三つの福音書と同様にヨハネ書にもイエスの登場以前にバプテスマのヨハネの活動が記されています。それに対して、ヨハネ書では、バプテスマのヨハネが洗礼を授けることは彼の主な働きとしては記録されていません。ただ、イエスが神の子であると証言するヨハネの姿は明らかに描かれています。
聖書には祭司たちやレビ人たちは、使者を遣わして探らせますが、ヨハネは自分について語るよりも、自分よりも後に来られるイエスについて証言します。その証言には4つのポイントがありました。
本論)「ヨハネの証言」
Ⅰ「自分は声、メシヤはことばです」
当時、ヨハネは多くの人々に注目されていました。しかし、自分は旧約聖書に預言されている(ヨハネ書1章20節)「キリスト」(すなわちメシヤ)ではないと宣言しました。また、(ヨハネ書1章21節)「エリヤ」の再来でも、モーセが語っていた(同左)「あの預言者」でもなく、ただ(ヨハネ書1章23節)「荒野で叫んでいる者の声」にしかすぎないと語ります。ヨハネ書の冒頭でイエスは(ヨハネ書1章1節)「ことば」として紹介されています。声とことばには大きな違いがあります。神学者バックストンは「声は直ちに失われます。けれどもことばは永久にあります。声は忘れられます。けれどもことばは忘れられません」と教えました。まずここに、クリスチャンの謙遜が教えられます。
Ⅱ「中心であるお方です」
さらにヨハネは、自分の後に来るお方「イエス」の(ヨハネ書1章27節)「くつのひもを解く値うちもありません」と言います。当時、靴のひもを解くのは奴隷の仕事でしたが、それさえする値打ちもないとは、このイエスというお方がどれほど偉大であるかを示しています。そのような偉大なお方を、(ヨハネ書1章26節)「あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられます」とヨハネは証言します。この「中」ということばは、英語訳の聖書では「イン」ではなく、「センター(中心・真中)」となっています。ですから、このお方こそ人生の中心であり、本当の「主」であることを証言しています。全ての中心はイエスです。仕事の中心、家庭の中心、教会の中心、そして世界の中心はイエスなのです。全てはイエスのためにあり、イエスのものなのであり、イエスによって成り立っているのです。
Ⅲ「世の罪を取り除くお方です」
その翌日、ヨハネはイエスに会いました。そして開口一番、(ヨハネ書1章29節)「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言いました。この「小羊」は、過越しの祭りのときにほふられる(出エジプト記12章3節)「小羊」、あるいは苦難のしもべを象徴する(イザヤ53章7節)「小羊」を指しています。ヨハネとイエスは親せきなので、ヨハネが(ヨハネ書1章31節)「私もこの方を知りませんでした」と言うのは不自然です。おそらく「メシヤとしては知らなかった」という意味にとるのが適当でしょう。イエスが公の働きを始められる直前に、ヨハネはイエスが人類の罪を取り除くお方であることを知りました。自分は「声」でしかないと言う謙遜な者こそが、この真理を知る者なのです。
世の罪を取り除くことこそ、メシヤの使命です。ヨハネは、人生の中心であるお方が、また罪を取り除くお方だと証言します。それも小羊として取り除くのです。神のひとり子の、十字架上での犠牲のゆえに、イエスの十字架は私の罪のためだと信じる人の罪は取り除かれるのです。
Ⅳ「聖霊のバプテスマを授けるお方です」
共観福音書のマタイ書、マルコ書、ルカ書はみな、ヨハネがイエスにバプテスマを授けたことを記しています。ヨハネ書だけはその記事を省いています。代わりに(ヨハネ書1章32節)「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました」というヨハネの証言を記します。このことを目撃したからこそ、ヨハネは(ヨハネ書1章33節)「その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である」と知ったのです。
ヨハネの使命は、(ヨハネ書1章33節)「水でバプテスマを授け」ることであり、これは罪の悔い改めの象徴です。それに対して、(ヨハネ書1章33節)「聖霊によってバプテスマを授ける」とは、新しいいのちを与えることであり、これは(ヨハネ書1章34節)「神の子」にしかできないことでした。ヨハネは水のバプテスマの限界を十分に知っていました。本当に必要なのは、神の霊に満たされ続けて、神のいのちをいただくことです。人にいのちを与えることができるのはメシヤだけなのです。
結論)「ヨハネの証言」
主なるイエスこそ、人生の中心であり、人の罪を贖うお方であり、聖霊に満たしてくださるお方です。これが救い主の使命であり本分です。ヨハネは当時、誰も理解していなかったこの真理を見出し、その事を証言する声に徹します。私たちも人生の中心に主なるイエスを置き、イエスによって贖われ、聖霊に満たされて、この真理を伝える声に徹しましょう。
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