福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

2024年9月15日(日)礼拝メッセージ

「バベルの塔」

葛西説教20240915(説教)

1.テキスト「創世記1119節」

2.タイトル「バベルの塔」

3.中心聖句「使徒の働き1726節」

「神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました」

4.本文「バベルの塔」

 序)はじめに

 エデンの園を追い出された人間の歴史は、悲惨な道をたどります。カインの弟殺しから始まった暴虐は、ノアの時代に地に満ちていました。それ故、神は大洪水によって一度地上を滅ぼされましたが、あわれみの故に、ノアの子孫は再び全地に広がったのでした。しかし、神のようになろうとする人間の罪の性質は、消え去ることはありませんでした。

 また、選民の歴史が語られる前、諸国民が神の干渉によって「地の全面」に散らされたことは、イスラエルが自身の罪で国を失い離散されたことと比較して考えることは福音理解の上で意味深いです。イスラエルの「残りの民」を集める回復の恵み「捕囚からの帰還」は、新約聖書の「終末の恵み」への信仰を歴史から学ぶことになるからです。そういう意味でバベルの塔の事件で人間が「地の全面」に散らされることは福音理解を深めます。

 

本論)「バベルの塔」

Ⅰ.「塔を建設する人間」

 洪水後にノアの子孫が生活し始めた時、(創世記111節)「全地は一つのことば、一つの話しことばであった」と聖書にはあります。新改訳2017では(創世記111節)「全地は一つのことば、一つの共通のことばであった」とあります。 

 それであるので創世記10章にある通り、5節、20節、31節で示されているように、人口が増えて人々が広い範囲に住むようになってくると当然方言が生まれ、意思疎通が難しくなってきます。それを防ぎ、団結した強い都市を作るために、その統合の象徴として高い塔を建て始めたのです。

 古代バビロンでそういう塔が造られた形跡があることが、考古学で証明されています。ジッグラトと呼ばれていました。平地の広がるこの地方では、少し高い塔を作るなら遠くから見ることができます。それはおそらく人心をまとめるのに好都合だったのでしょう。彼らはすでに高熱で焼いた強固なレンガや、レンガをつなぐ接着剤としてのアスファルトも発明していました。それで作ることができたのでした。

 重要な点はジッグラトが偶像の神殿でもありました。人心をまとめるために、神ならぬものを神とする人間に対して、神のさばきが下るのは当然ですね。具体的にどうなったかは分かりませんが、塔を建てている人々の意志が通じなくなり、彼らは工事を中止せざる得なくなりました。あるいは内紛が生まれたからか、反乱があったからかなのか。その結果、大きな町を造ることができず、彼らは全地に散っていき、創世記10章にあるように様々な言語が生まれることになったのでした。

 

.「バベルの塔の間違い」

 彼らは、次の三つの点で大きな間違いをしていました。彼らはまず、(創世記114)「頂が天に届く塔を建て」ようとしました。それは、天におられる全能の神にとって代わろうとする態度の現れでした。しかし、それこそが罪でした。人間は神を信じて親しく交わり、神に教えられ、導かれ、戒められ、また与えられた課題を果たすことによって、神に似た者に成長するべきだったのです。

 次に彼らは(創世記114)「名をあげよう」としました。つまり、自分たちの力の偉大さを見せつけようとしました。しかし、レンガの材料やアスファルトは神が与えてくださったもので、その技術も神の定められた法則を利用しものにすぎません。神に感謝し、神に栄光を帰すのが人間のあるべき姿です。

 さらに(創世記114)「われわれが全地に散らされるといけない」と言っていましたが、神の命令は(創世記128)「地を満たせ」でしたね。人間は地球上に広がっていくことが神のみ旨なのです。

 

.「新約聖書の教え」

 ここで、新約聖書の使徒の働き1726から27節を開いてください。(使徒の働き172627節)「神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません」とあります。

(使徒の働き1726節)「神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ」ました。そしてそれぞれの地域を定め、それぞれの言語を与え、(使徒の働き1727節)「もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです」

すなわち神は、地球上のすべての民族、すべての人間が、神を信じることを願っておられます。人々が熱心に追い求めて、本当の神を発見することができるように、国、言語、時代を定めて、「私はなぜこの国に生き、この時代に生きるのか」と考えることを求めておられるのです。

 

結論)「バベルの塔」 

 バベルの塔は、単なる神話や昔話ではありません。その当時よりもはるかに科学技術が進んでいる現代は、インターネットで世界をつなげ、クローン人間、火星にさえ人間が行こうとしています。バベルの塔の時代の人々のように高慢になり、人間には何でもできると考え、神などもはや必要ない、神は死んだなどという人もいることでしょう。それはバベルの塔を造る人々と同じです。それは神に代わって自分が神になることです。しかし、その結果は、神の裁きでしかありません。こういう時代に生きる私たちは、謙遜になって神のみ旨を追い求め、高慢にふるまう人々に対して福音を宣教することにより、警告する者であってください。

東京都江戸川区東葛西6丁目37-3 福音伝道教団 葛西福音キリスト教会 かさいふくいんきりすときょうかい 
バベルの塔を見上げる羊