葛西説教20240908
1.テキスト「マタイ書18章12~14節」
2.タイトル「一匹の羊の大切さ」
3.中心聖句「マタイ書18章14節」
「この小さい者たちのひとりが滅びることは、
天にいますあなたがたの父のみこころではありません。」
4.本文「一匹の羊の大切さ」
序)「聖書は一人の人の尊さを教えます」
神は私たちを愛してくださいます。(イザヤ書43書4節)「わたしの目には、あなたは高価で尊い」と言ってくださいます。それは世界の人々の中のひとりとしてではなく、あなた一人を一人として愛してくださいます。
そして、神から離れ、そむき、迷っているとしても、神の愛は、その失われたひとりを求めて追いかけます。イエスが教えられた「一匹の羊」は、このような「ひとり」の尊さを教えています。
その尊さのゆえに、イエスは、不幸な男性遍歴を重ねた一人のサマリヤの女性を救いに導くために、(ヨハネ書4章4節)「サマリヤを通って行かなければならなかった」のです。パウロも、悔い改めた一人の逃亡奴隷がクリスチャンの主人のもとに愛をもって迎えられるために、執り成しの手紙を書いています(ピレモンへの手紙)。
私たちも、神が一人の魂をどれほど価値ある者としておられるかを覚えつつ、「ひとり」を追い求める者でありたいと願います。どうか、「一匹の羊の大切さ」を私たちは、今日、心に刻みましょう。
本論)「一匹の羊の大切さ」
Ⅰ.「霊の価値」
羊を財産の一種と考えている人なら、当然99匹の方が1匹より大切と考えるでしょう。できるだけ多くの羊毛、乳、肉が取れ、できるだけ高く売れて儲ければよいとか。効率と損得を第一に考えるなら、1匹のために99匹を犠牲にすることはできないでしょう。
しかし、マタイ書18章7から9節では、幼子をつまずかせるぐらいなら、つまずかせる足や手を切って捨てなさいと、イエスは命じておられます。両手そろって地獄へ行くよりは、片手でもいのちに入るほうが良いのです。
また10節には、神が小さな者を特別に扱い、顔と顔を合わすように、一対一で導いておられることが教えられています。どんなに小さな者であっても、その霊の価値は、神が一人一人と顔と顔を合わせて導くほど重要なのです。
聖書の示す価値観では、一人の魂の価値は、迷わない99匹をそこにおいてでも捜しに行くほどなのです。効率や損得を超えた価値が、霊にはあるのです。
Ⅱ.「捜しに出かける」
この1匹は(マタイ書18章12節)「迷い出た」羊です。他の99匹より愚かな羊なのです。だからと言って、ほったらかしておいてよいのでしょうか。迷い出て苦しむのは、自業自得で仕方のないことなのでしょうか。断じてそうではありません。愚かな1匹であっても、(マタイ書18章12節)「捜しに出かけ」ることが必要なのです。世の中では、愚かな者は無視され、置いてきぼりにされることも多いのではないでしょうか。他の子どもたちを犠牲にしてまで、成績の悪い子のために授業時間を割く先生が、問題にされたりします。教会学校であっても、よく騒ぐ子は嫌がられたりしませんでしょうか。イエスは、罪人たちの中にあえて入って行かれました。ルカ書18章10節でも、イエスは(ルカ書19章10節)「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです」と、言われました。
聖書の価値観は、常に先行的恩寵です。神がまず私たちを愛してくださり、私たちは愛ということを知りました。神がまず一人子イエスを与えて贖いのみわざを完成してくださり、私たちはそれを受け取りました。まず出かけること、自分から先に犠牲を払うことが、聖書の価値観なのです。
Ⅲ.「喜びは大きい」
(マタイ書18章13節)「もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです」と記されていることに注目しましょう。愚かな1匹の羊が戻って来るなら、多くの賢い羊よりも、ずっと大きな喜びが生まれるのです。世の中の価値観と正反対の結論ではないでしょうか。これは放蕩息子が帰って来た時の父親の喜びです。ですが兄息子は、世の中の価値観を表しています。(ルカ書15章29~30節)「長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか」と恨み言を言います。迷い出た者、罪を犯した者、役に立たない者に価値はなく、戒めを守り、役に立つ者にこそ報いがあるべきだと主張しているのです。
この世の中の価値観とは、兄息子の主張どおりなのです。しかし、神の国の価値観は労働と賃金の関係ではなく、恵みの世界です。いやなことを我慢したから恵みがあるのではないのです。神と共にいて働けること自体、恵みなのです。そのことに気付いた弟と気付かない兄。神は、神と共にいて働けることが恵みだと気付いた者を、気付かないで不平を言う者より、ずっと喜ばれるのです。
まとめ)「一匹の羊の大切さ」
効率や損得を超えた高い価値が、霊にはあるのです。ですから、迷い出た人を、犠牲を払ってでも捜し出しましょう。神のために働いているから報われるのではありません。神と共に働けること自体が恵みなのです。罪を犯した人が恵みに気付いて立ち返って来ることを喜びましょう。この世に生きる人は誰でも、そのままでは、自分にとって損か得かで、物事を決めてしまいます。神の愛を知る私たちは、99匹ではなく、1匹を追う価値観を身に付けましょう。
私たちも、神がひとりの魂をどれほど価値ある者としておられるかを覚えつつ、「ひとり」を追い求める者でありたいと願います。どうか、「一匹の羊の大切さ」を私たちは、今日、心に刻みましょう。
葛西福音キリスト教会 関連ホームページ