一昨日からブログを始めてみましたが、焦ってしまい「箴言」の2章から始めてしまいました。それで、反省して、箴言の最初から読み直すことにしました。
本日は晴天で昼から気温が上昇するとの天気予報でしたが、朝はまだ過ごしやすいですね。
箴言1章を読んで感じるのは、聖書を読む難しさでしょうか。私たちは「上から」何かを語られることを嫌うものではないでしょうか。みんなが平等で、上も下もなく、「民主的」に語ることを私たちは好むような気がします。それは、知恵を学ぶ際にも、そうかもしれないと。
思い返せば、私が子供であったときには、親が語る知恵のことば、「上から」のことばに学ぶのですが、先に述べたようにその声を受け入れるのは、大変難しいものでした。両親は愛をこめて私を育ててくれましたが、私はその親の恩に報いることの少ない者でした。
ですから、今、大人になってからは父や母にはできるだけ感謝の思いを伝えようと努めています。
すこし、脇道にそれましたが、箴言1章を読んで考えさせられたことは、自分のことばを聞いて欲しい、という要求ばかりが強くなる現代に私たちは生きているのではないか。
ですから、「仲間が欲しい」と自分に同情してくれる人ばかりを周りに集めがちなのではないか。
しかし、同じ目線から語られることばは、時として危険に満ちています。謙遜なイエス様でさえも、語るべきときには、実に上から弟子たちに語られました。
今朝の祈り
未熟な私に語られる主なる神様、みことばを通して聖霊様の導きの中、今朝の祈りのことばをいただき感謝いたします。
どうか、上から語られるあなたのことばを喜んで聞く者としてください。