誘惑の手口を知る

 今朝は箴言7章を読みました。その中でふと感じ、また考えさせられたことです。

 夜こっそりと自分の家の窓から外をのぞくわが子を愛する親は、自分の家の近所を過ぎる一人の若者の姿に気がつきました(箴言7章7節)。外に明かりなどない時代、暗い街かどを彼は歩いていました。そこで彼が出会ったのは(箴言7章10)「遊女の装いをした」女性でした。彼女は獲物を狙った狩人のようにこの若者を誘惑します(箴言7章23)。夫がいる女性の家を夜中に訪れる口実を与えています(箴言7章1415)。家の調度の美しさとその良い香りも伝えています(箴言7章1617)。きわめつけは、彼女の夫が留守であるということです(箴言7章1920)。時は夜中です。彼女の家を訪れても、誰にも気づかれません。

 親は、女性の誘惑の手口を実に写実的に描いています。それは誘惑の手口を知ることによって、そこから逃れるためです。いのちを失い、家族を失う、そんな危険から息子を守るためです。

 親は、ユダヤ的表現を用いて知恵を「わが姉妹」と呼べ、と命じます(箴言7章4節)。このことばは、血のつながった妹という意味ではありません。知恵文学では「姉妹」はしばしば「花嫁」、最愛の人、妻となるべき人、という意味です。ですから、「知恵を花嫁として受け入れ、知恵と結婚せよ」というのです。愚かさを体現するような遊女から自らを守るために必要なのは、親が語る知恵のことばを自分のものとすることです。そうすれば、いのちを得ることができます(箴言7章2)

 私たちの住む世界には誘惑が満ちています。誘惑する者は、巧みな手口を用いて誘ってきます。心にある隙間を狙って、「誰にもばれない、理由がある」などと語りかけてきます。しかし、それは死への道です。私たちは死ではなく、いのちを選ぶべきです。

 

今朝の祈り

 誘惑の現実をも私たちに教えてくださる全知の神よ、避けるべきものを避けることを教えてください。  

東京
五月雨の中、美しい咲いているアジサイ