今朝は箴言11章を読みました。その中でふと感じ、また考えさせられたことです。
会計を担当する者にまず求められることは無駄をなくすことです。それは小銭をため込むためではありません。本当に必要な働きのために、最大限のお金を用いるためです。そうでなければため込むだけで、お金が全く動かない組織となるでしょう。お金は、健全に動いて初めて、その力を発揮します。
箴言11章24節以降、富に関する格言があげられています。その多くが、ケチと節約を奨励するのではなく、気前良く用いることを良しとするものです。(箴言11章24節)「ばらまいても」とは、様々な人に、無駄とも思えるほど与えることでしょう。ところが、そのような人が富んでいきます。一方で払うべきものを払わない人は、ますます貧しくなるのです。
惜しまず与える者は富み栄え、人が豊かになるように助ける者は、自らも豊かになります(箴言11章25節)。そして(同)「潤す」という水と関りのあることばが使われていますから、他者を生かすように努める者が生かされるのです。穀物は貯蓄のためではなく、売るために(箴言11章26節)、ヨセフのように必要な人々に売った時、祝福が来ます。
自分の獲得した富を用いることをせず、むしろため込むことに一生懸命になっている人は、(箴言11章28節)「自分の富に拠り頼む者」です。この世界を動かし、「お金は天下の回り物」ということばがありますが、真の支配者である主なる神に信頼しているのではありません。むしろ、気前良く与える人こそ、「正しい者」であり、実を結び、自らのいのちを豊かにするのです(箴言11章30節)。
(使徒の働き20章35節)「受けるよりも与えるほうが幸いである」ことこそ、この地上でいのちにあふれ、いのちを人に与える秘訣です。
今朝の祈り
良きものを、御子さえも惜しまず与えてくださった主なる神よ、あなたに似た者、気前良く与える者に私を造り変えてください。