今朝は箴言13章を読みました。その中でふと感じ、また考えさせられたことです。
(箴言13章7節)「富んでいるように見せかけ、何も持たない者がいる。貧しいように見せかけ、多くの財産を持つ者がいる。」
富には力があります。(箴言13章8節)「富はその人のいのちの身代金である」からです。ただし、富には注意が必要です。
(箴言13章11節)「急に得た財産は減るが、働いて集める者は、それを増す」とあるように、一獲千金を狙って得たお金は、低く評価されています。そのような富を得ても、すぐに散逸してしまうからでしょう。一方で、(箴言13章11節)「働いて」とあるように自分の手を使ってコツコツ貯めた富は、確実に増えていきます。このように、富をどのように獲得するかで、その人が富をどのように用いるかが決まります。
(箴言13章18節)「貧乏と恥とは訓戒を無視する者に来る。しかし叱責を大事にする者はほめられる」。「訓戒」と「叱責」に従うためには、自分の願ったことができない痛みを経験することがあります。また、自らを整えていく努力も求められます。楽ばかりしていたら、富は遠ざかり、恥だけが近づいてきます。厳しい叱責を聞いて、それを行う人が社会では重んじられます。
(箴言13章23節)「貧しい者の開拓地に、多くの食糧がある。公義がないところで、財産は滅ぼし尽くされる」。富みにふさわしい人が富を獲得するためには、国による正しい裁きが行われていることが必須です。それが無い時、多くの労した貧しい人が多く得た食料の恵みにあずかることができず、働かなかった人が獲得するようになるからです。今はどのような時代なのでしょうか。
このように見ていく時、偽りの富と偽りの貧しさがあることに気づくことでしょう(箴言13章7節)。不正と急いで得た富は、偽りの富を生み出します。公正と訓戒と地道な労働は、本当の豊かな人と豊かな人生を生み出します。私たちはどちらを求めているのでしょうか。
今朝の祈り
公正な裁きをなさる主なる神よ、あなたの前で富む者としてください。