今朝は箴言16章を読みました。その中でふと感じ、また考えさせられたことです。
(新改訳第三版(箴言16章3節)
「あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。」
箴言16章は格言集の大きな転換の章です。白黒はっきりとつけている格言が多い部分(箴言15章まで)からより複雑な格言の多い部分(箴言16章以降)へと移り変わるからです。
人は様々な計画を立てます。それは良いことであり、当然生きる上で必然なことです。ただし、主なる神はそのような人の計画と準備を知った上で神の最善を行われます(箴言16章1節)。ですから、神の応答次第では、計画を変えなければならないこともあります。悪しき人を災いの日のために用意されるのですから(箴言16章4節)、多様な可能性を想定すべきなのです。野球のバッティングと同じですね。バッターボックスに入ったならば、どんなボールが投げられてくるか分からないので、ある程度の緊張と集中は大事ですが、体のリラックス、そしてバットを強く握り過ぎないことが必要です。同じように自分の考えや計画に執着し過ぎないことが信仰生活と教会生活、社会生活、家族、夫婦には求められますね。
多くの人は純粋で、潔い動機から計画を立てます。そして良い志に基づいて行動します。しかし、人の評価や判断とは異なった観点から、神は私たちの「たましい」、すなわち動機、精神、行いを掘り下げます(箴言16章2節)。人の心の奥底までご存知の神は、どんな完璧な人にも存在する盲点を知っておられます。どんな素晴らしい人にも、隠された問題が潜んでいます。しかし、神はご存知です。
人の計画や準備を知り、人のたましいの奥底までご存知の神が、今も生きて働いておられます。だからこそ、なすべきことすべてを神に委ねることこそが最善の選択です。「委ねる」とは神に「いのちを預ける」ことです。だから、なすべきことをした上で、神のなされたことを受け入れていく生き方を指します。そうするとき、人の思いを超えた神は、不思議な形で神が私たちの計画を実現してくださいます。時や方法は、願った通りにならないかもしれません。しかし、想定外の素晴らしいことが起こるのです。
今朝の祈り
私たちの気づいていないことさえもご存知の神よ、知恵において成長するために、あなたにいのちを預けることを教えてください。