今朝も暑さが厳しいですね。この暑さは体にも電気代にも厳しいです。
今朝は箴言18章を読みました。その中でふと感じ、また考えさせられたことです。
(箴言18章21節)「死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。」
知恵ある者は、知恵に成長するだけではありません。知恵がその人の全身に浸透し、その人のあらゆる選択や行動の中に知恵が表されていきます。口から出ることばも、知恵の現れの一つです。深いところから、尽きない泉が湧き上がり、川となって周りを潤していくように、知恵ある人によって、楽園がその周りに生み出されます。知者のことばの力は驚くほどです(箴言18章4節)
一方で人の奥深いところまで染み入り、その人を作り上げてしまうことばもあります。(箴言18章8節)「陰口をたたく者のことばはおいしい食べ物のようだ。腹の奥に下っていく」。つまり陰口です。食べ物が腹の奥に込み、ついにはその人の一部となっていくように、陰口は私たちの人格を形作っていきます。当然のことですが、陰口にいい話はありません。ですから、陰口をたたく者は、その陰口のようになっていきます。
どちらにしても、自分の語ることばとそれが生み出す実(周りに楽園を生み出すのか、陰口によってゆがめられた世界をつくるのか)が語る人を満たし、満たされたもので、その人は満足します(箴言18章20節)。知恵ある者のことばは、知恵を自らと世界に満たし、陰口はゆがみを自らと世界に満たします。
ですから、私たちの死と生を支配する(直訳では、「その手で治める」)のは、ことばを発している舌です(箴言18章21節)。舌を愛さない者、つまりことばを控える者の人生は舌によって支配されることはありませんが、舌を愛する者、語ることを喜ぶ者の人生は舌によって支配されます。何を語るかで、その人の人生と人格が決まるのですから。
今朝の祈り
天と地とそこに満ちているすべてのものを支配しておられる神よ、舌を知恵によって治める者へと私を造り変えてください。