今朝も厳しい暑さが続いていますね。昨晩はフランスで戦っているナデシコを応援して、寝不足気味の朝を迎えました。今朝、体重を測ると、さらに1キロぐらいやせていました。私のクーラーは特殊で、送風運転時に一部を外部に排気することにより室内の換気も行います。それで普通の部屋に備え付けのクーラーの送風運転とは、異なる効果が期待できます。
ですから今も全ての窓を全開にし、送風運転でも何とか部屋で仕事ができる状況です。もちろん、適度に汗もかきますので、タオルと水やお茶は必須です。
しかし、あまり無理をして熱中症で倒れると教会の人にも故郷の両親にも迷惑をかけることになりますので、ほどほどにクーラーも使用しながら、随時水分補給もしながら節電に励み、夏痩せしたいと思います。
今朝は箴言20章を読みました。その中でふと感じ、また考えさせられたことです。
(箴言20章21節)「初めに急に得た相続財産は、終わりには祝福されない。」
重さや容積を測る基準が定まっていない国で正しい統治を行うことはできません。あちらこちらにごまかしや腐敗が生まれて来るからです。例えば納められた税は大きめのはかりで計算して、国が余分に搾取します。そして配給する時には小さめのはかりで計算して、少なめに配ります。このような二種類のはかりがまかり通るようでは、その国は終わりです。イスラエルの神である主は、そのようなごまかしと腐敗に満ちた統治を望んでいません。ですから、二種類のはかりを用いる行動を(箴言20章10、23節)「主に忌みきらわれる」、つまり倫理的に汚れているとみなされるのです。
また不正を行うことによって、食料を余分に得ることもできるでしょう。そして、欺いて自分のものとしたパンは、おいしいようです。しかし、それも一時的に過ぎません。(箴言20章17節)「後にはその口はじゃりでいっぱいになる」からです。それは自分の心が責められるのか、欺きに人々が気づいて大いに非難されるからなのかは分かりません。しかし、実に後味の悪い結果となります。
自分のために資産を得るには、色々な方法があります。地道に、少しずつ貯めることもできますし、ずるい方法を用いて、一気に手に入れることもできます。しかし、あぶく銭が身につかないように、急いで得た富は、祝福された終わりを迎えることはありません(箴言20章21節)。正しい方法で、じっくりと得られるものほど、長続きします。
様々な不正の可能性が満ちた世界に、主は王を置かれました。それは、(箴言20章26節)「悪者どもをふるいにかけ、彼らの上で車輪を引き回す」ことによって、主の喜ばれる社会を生み出すためでした。ですから、正しい統治が行われるようにと、為政者のために祈るべきです。それは神が喜ばれることですから。
今朝の祈り
主なる神よ、この国の為政者が正しい統治を行うことができますように。