今朝も厳しい暑さが続いていますね。皆さま、ご自愛ください。
今朝は箴言21章を読みました。その中でふと感じ、また考えさせられたことです。
(箴言21章13節)「寄るべのない者の叫びに耳を閉じる者は、自分が呼ぶときに答えられない。」
神は世界をどのように治めておられるのでしょうか。
「暴虐」と言われている暴力的な行動を悪者たちは喜んで行います(箴言21章7節)。「公義」と呼ばれる正しい統治を彼らは好まないからです(箴言21章7節)。ただし、暴力を行ってきた者たちは、必ず最後には自分の身を滅ぼします。他人に向かって行った暴けようとする人々がいます。それと同時に、彼らの声を一切聞こうとしない人々も、残念なことですが、存在します。同じような問題が自らの身に起こったとき、他人に無関心であった人も神と人に叫び声をあげ、助けを求めるでしょう。しかし、神も人も、その声を聞いてはくれません(箴言21章13節)。
なんの仕事もしようとしない「なまけ者」にも「欲望」はあります(箴言21章25節)。働かずに、楽をして、生活したい、という欲望です。残念ながら、そのような欲望に従って「手」を「働」かせないと、自分の体も動かなくなり、最後は自らを「殺」してしまいます(箴言21章25節)。
偽りを語る証人に罰則が与えられるのは当然です。一方で、人のことばを「よく聞く者」は他人のことをよく知るようになります(箴言21章28節)。それに加えて、人々は、その人が語ることばを聞きます。彼らのことばは無駄になることがなく、彼らはよい証人になります(箴言21章28節)。
他人にしたことが、自分に返ってきます。祝福は祝福として、呪いは呪いとして返ってきます。ですから、隣人を祝福し、彼らが祝福されることは、私たち自身の祝福ともなります。
今朝の祈り
祝福する者を祝福し、呪う者を呪う神よ。どうか人々を祝福する者にしてください。