今朝も厳しい暑さが続いていますね。本日も外気温34度の予想です。本日の暑さは幾分か、ましなのでしょうか?皆さま、いのちの危険を感じるような暑さが続いていますが、どうかご自愛ください。
今朝は箴言26章を読みました。その中でふと感じ、また考えさせられたことです。
(箴言26章12節)「自分を知恵のある者と思っている人を見ただろう。彼よりも、愚かな者のほうが、まだ望みがある。」
箴言が語る知恵のことばを受け入れず、そのアドバイスに従って生きようとしない人々を「愚かな者」と呼びます。箴言26章では、そのような人々の特徴や彼らへの対処法が教えられています。
「誉れ」は、季節外れの「雪」や「雨」のように「愚かな者」には「ふさわしく」ありません。むしろ、大きな被害を周りに与えます(箴言26章1節)。また「石」を「石投げ器」に結び付け、全く武器として役に立たなくなるように、「愚かな者」に「与え」られた「誉れ」は、「誉れ」が本来持つべき役割を果たしません(箴言26章8節)。
それだけですばらしい格言が「箴言」に集められたとしても、「愚かな者」には無意味です。彼らがどれだけ「箴言」に納められている格言を用いても、他者に良い影響を与えません(箴言26章7節)。むしろ、他の人を傷つけるだけです(箴言26章9節)。
「愚かな者」に対応するのは、困難です。彼らがわかるように一生懸命に答えようとすればするほど、答えようとする人が「愚か」になってしまう場合があります(箴言26章4節)。彼らには何の応答もせず、そのままにしておくことも問題です。だれもその「愚かさ」を指摘しないために、自分は「知恵のある者」だ、と「愚かな者」が誤解するからです(箴言26章5節)。「愚かな者」への対応は、実にめんどうなものです。
愚かな者よりもたちの悪い人もいます。自分は「知恵のある者」だと誤解している人です。彼らを諭して、知恵のないことをわからせることほど、難しいことはありません。本当に「愚かな者」には、彼らよりはまだ「望み」があります。ひょっとすると、自分が「愚かな者」であることに気付くかもしれないからです(箴言26章12節)。
今朝の祈り
主なる神よ、何よりも自らの姿をはっきりと知ることができようにしてください。そして、知恵への道を歩めるようにしてください。