「聖書による統治」(新改訳第三版)
昨日は突然の地震で驚かされましたが、皆さま、地震に対する日頃の備えは大切ですね。本日も外気温35度の予想です。皆さま、いのちの危険を感じるような暑さが続いていますが、どうかご自愛ください。
今朝は箴言28章を読みました。その中でふと感じ、また考えさせられたことです。
(箴言28章4節)「おしえを捨てる者は悪者をほめる。おしえを守る者は彼らと争う。」
国の統治はたやすいことではありません。「国」の指導者である王が、主なる神に背くような統治を行っている限り、北イスラエルのようにどんどんと王と王家が変わっていきます。しかし、「知」恵に満ちた指導者が登場した時、その人は長く「国」を統治し、「国」そのものも「長」期にわたって「安定」するでしょう(箴言28章2節)。
国家を治める知恵はどこにあるでしょうか。箴言はそれが律法〈聖書〉であると語っています。律法〈聖書〉を「捨てる」とき、「悪」しき「者」たちが「褒め」称えられるようになってしまいます。そして、彼らはより力を持つようになるのでしょう。しかし、律法〈聖書〉を「守る」(行うことによって、そして律法〈聖書〉を大切なものとすることによって)「者」は、「悪」しき「者」と争い、国を立て直そうとするのです(箴言28章4節)。
律法〈聖書〉は、国を統治することを人にゆだねられた神が与えたものです。ですから、律法〈聖書〉に「耳」を傾ける者は、当然、その与え主である神を尊重します。神もその人の「祈り」を「聞か」れます。しかし、律法〈聖書〉を重んじないならば、神を軽んじることですから、神もそのような統治者の「祈り」を「聞」いてくださいません(箴言28章9節)。
律法〈聖書〉に従えば、貧しい「民」を食い物にはしないでしょうし(箴言28章15節)、人々を苦しめたり、「不正な利」益で自分だけ「得」をすることはないでしょう(箴言28章16節)。律法〈聖書〉に従って統治できる者たちは、実は(箴言28章14節)「いつも主を恐れている人」です。「心をかたくなにする」ことなく、神のみことばを聞き、それを受け入れるからです。
このような統治が行われるように祈りましょう。それとともに、そのような統治が行われるように私たちもそれぞれの立場で、必要な行動をさせていただきましょう。
今朝の祈り
世界を統治されている主なる神よ、この日本にも、神を恐れる指導者を起こしてください。