聖書による統治

「聖書による統治」(新改訳第三版)

 

 昨日は突然の地震で驚かされましたが、皆さま、地震に対する日頃の備えは大切ですね。本日も外気温35度の予想です。皆さま、いのちの危険を感じるような暑さが続いていますが、どうかご自愛ください。 

 

 今朝は箴言28章を読みました。その中でふと感じ、また考えさせられたことです。  

 

(箴言284)「おしえを捨てる者は悪者をほめる。おしえを守る者は彼らと争う。」

 

 国の統治はたやすいことではありません。「国」の指導者である王が、主なる神に背くような統治を行っている限り、北イスラエルのようにどんどんと王と王家が変わっていきます。しかし、「知」恵に満ちた指導者が登場した時、その人は長く「国」を統治し、「国」そのものも「長」期にわたって「安定」するでしょう(箴言282)

 国家を治める知恵はどこにあるでしょうか。箴言はそれが律法〈聖書〉であると語っています。律法〈聖書〉を「捨てる」とき、「悪」しき「者」たちが「褒め」称えられるようになってしまいます。そして、彼らはより力を持つようになるのでしょう。しかし、律法〈聖書〉を「守る」(行うことによって、そして律法〈聖書〉を大切なものとすることによって)「者」は、「悪」しき「者」と争い、国を立て直そうとするのです(箴言284節)。

 律法〈聖書〉は、国を統治することを人にゆだねられた神が与えたものです。ですから、律法〈聖書〉に「耳」を傾ける者は、当然、その与え主である神を尊重します。神もその人の「祈り」「聞か」れます。しかし、律法〈聖書〉を重んじないならば、神を軽んじることですから、神もそのような統治者の「祈り」「聞」いてくださいません(箴言289節)。

 律法〈聖書〉に従えば、貧しい「民」を食い物にはしないでしょうし(箴言2815節)、人々を苦しめたり、「不正な利」益で自分だけ「得」をすることはないでしょう(箴言2816節)。律法〈聖書〉に従って統治できる者たちは、実は(箴言2814節)「いつも主を恐れている人」です。「心をかたくなにする」ことなく、神のみことばを聞き、それを受け入れるからです。

 このような統治が行われるように祈りましょう。それとともに、そのような統治が行われるように私たちもそれぞれの立場で、必要な行動をさせていただきましょう。

 

今朝の祈り

 世界を統治されている主なる神よ、この日本にも、神を恐れる指導者を起こしてください。

東京都江戸川区東葛西6丁目37-3 福音伝道教団 葛西福音キリスト教会 かさいふくいんきりすときょうかい 
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