公義と公正

「公義と公正」(新改訳第三版)

 

 昨日も突然の地震で驚かされました。このように地震が続くと、この世の終わりを意識するのは私だけでしょうか。しかし、聖書はこの世の終わりは、すなわち信仰者の勝利を約束していますから心を騒がすことはありませんね。本日も外気温34度の予想ですが、ようやく私の部屋のクーラーも改善されました。お金はかかりましたが、いのちには代えられません。皆さまもいのちの危険を感じるような暑さが続いていますが、どうかご自愛ください。 

 

 今朝は箴言29章を読みました。その中でふと感じ、また考えさせられたことです。 

 

(箴言2913)「貧しい者としいたげる者とは互いに出会う。主は、この両者に日の光を見させる。」

 

 私たちの住む世界はいつも問題を抱えています。「貧しい者」がおり、弱い人を「しいたげる」人がいます。そして、両者は、様々な場面で「出会」います(口語訳「共におる」は、新改訳第三版では「互いに出会う」、新改訳2017と新共同訳では「出会う」)。そして、そこに問題が発生します。しかし、「両者」の目に太陽の「光を」与え、「両者」を生かしているのは、同じ主なる神ですから(箴言2913節)、彼らが共に住み、そこで不正が行われないように調整する為政者(イスラエルでは王)が必要となります。

 様々な人が共に住む「国」に必要なのは、公義、すなわち正しい統治です(箴言294節)。たとえば、「悪」しき「者」に統「治」をする権限や権力を与えない(箴言292)「重税を取り立て」ない(箴言294節)、貧しい人の訴えを顧みる(箴言297節)、うそ「偽り」を言う人のことばに耳を傾けない(箴言2912)、貧しいであっても、「裁」判の席において優遇せず、また無視せず、公平に「裁」く(箴言2914節)などがあげられています。「正しい」統治を行うと、力がある人たちは損をします。しかし、「民は喜び」(箴言292節)、「国」の基盤は堅くなり(箴言294節)、「王」自身の位も、クーデターなどに脅かされることなく、「堅く立つ」ようになります(箴言2914節)。

 正義に満ちた統治を可能とするのは、「預言」に聞くことであり、「律法」を守ることです(箴言2918節)。ただそれは、単に「聖書のことば」を聞いて、それを守ることだけではありません(イザヤ書2913節、マタイ書259節、マルコ書77)

 ですから様々な人を国に置き、それぞれにいのちを与えられた主なる神の導きと、霊的な神との交わりを絶えず求め続け、それに従って為政者が歩むことを指しています。そしてそれは為政者のみならず民もそのように招かれています。本当の王である方に治めていただくために必要な道です。

 

今朝の祈り

 正しいさばきを世界にもたらす主なる神よ、あなたに聞く者たちを通して、正しいさばきを地にもたらしてください。 

東京都江戸川区東葛西6丁目37-3 福音伝道教団 葛西福音キリスト教会 かさいふくいんきりすときょうかい 
聖書を常に学び、神に祈りをささげている羊