お盆休みの終盤を台風が直撃するみたいですね。本日も外気温35度の予想です。皆さまもいのちの危険を感じるような暑さが続いていますが、どうかご自愛ください。
今朝は箴言31章を読みました。その中でふと感じ、また考えさせられたことです。
「人間の限界、神のみわざの驚異」(新改訳第三版)
(箴言30章18節)「私にとって不思議なことが三つある。いや、四つあって、私はそれを知らない。」
箴言も最終章を迎えようとする30章には、「アグルのことば」が記されています。ここまで学んできて、十分な知者になっているはずなのに、(箴言30章2節)「確かに、私は人間の中でも最も愚かで、私には人間の悟りがない」とアグルは語ります。知恵を学べば学ぶほどに、自分が知恵を理解していないことに気付くばかりだからです。それは、私たちが、天に上ったり、風を自由に扱ったり、水に境界線を与えたり、地の果てを定める神ではなく、一介の人間に過ぎないからです(箴言30章4節)。神の前に立つ時、人は自らと自らの知恵の限界を痛感します。しかし、知恵を学んだ者は、神のことばが真実であることに気付き、この方により頼みます(箴言30章5節)。
知恵の限界に気付くとき、私たちは目の前のあらゆる出来事に驚嘆するようになります。理解しきることのできない何かを見出すからです。箴言30章15節から31節に綴られている数え歌は、神が創造されたこの世界に満ちている驚異を綴ったものです。飽くことのないもの(箴言30章15~17節)、悟ることのできない、不思議な道(箴言30章18~20節)、耐えることができないほどの不条理(箴言30章21~23節)、小さくて軽視されがちだが、実は知恵に満ちた存在(箴言30章24~28節)、堂々と歩くことができる存在(箴言30章29~31節)。神が治めておられるこの世界は、数え歌では数えきれないようなさまざまな驚異に満ちています。
驚きのない人生は味気のないものでしょう。しかし、自分の知恵がいかに貧しいものであるかを知る人は、自分の回りに存在する神のみわざのすばらしさに心から驚くことができます。そして、感動に満ちた生涯が始まるのです。
今朝の祈り
全ての知恵は主なる神であるあなたのうちにあります。それゆえに、主よ、驚きと感動と感謝に満ちた日々を送らせてください。