本日も外気温34度の予想です。皆さまもいのちの危険を感じるような暑さが続いていますが、どうかご自愛ください。
今朝は箴言31章を読みました。その中でふと感じ、また考えさせられたことです。
(箴言31章10節)「しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い。」
箴言31章10節、口語訳では「賢い妻」と訳されていますが、新改訳第三版では「しっかりとした妻」、新改訳2017では「しっかりした妻」、新共同訳「有能な妻」、家庭と言う名の戦場の英雄である女性についての歌がここに記されています。
箴言は女性について多くを語っています。箴言では、意志の強い性格、豊かな知恵、多くの技術、慈悲深さを持つ女性の像で締めくくられていることは何と相応しいことでしょうか。ある人たちは、聖書における理想の女性とは、内気で、自主性がなく、全く家庭的な女性である勘違いしているのではないでしょうか。彼女の力と威厳は、神に対する恐れ「敬意」の結果なのです。私たちの社会では容姿が重要とされがちですが、この書では彼女の容姿については何も言われていません。彼女の魅力は彼女の性格に全く由来しています。
彼女は、家庭に必要なものをすべてをそろえることができ、「夫の信頼」を勝ち得ています(箴言31章11~12節)。「羊毛や亜麻」から糸を紡ぎ(箴言31章13節)、「手に糸巻きをつかむ」布を織り(箴言31章19節)、美しい「敷き物」を作ります(箴言31章22節)。それを「売」ることさえできます(箴言31章24節)。「食糧」を集め、「食事」についての「用事」を「召使の女たちに」「言いつけ」ます(箴言31章14~15節)。「畑」を買って、「ブドウ」さえも作ります(箴言31章16節)。さらに、彼女はその「手」で「悩んでいる人」を助けます(箴言31章20節)。公正と公平を生み出します。
なぜ、彼女はそのようなことができるのでしょうか。それは、彼女が箴言で語られた知恵を自らの働きの土台としているからです。彼女は知恵を「語り」ます(箴言31章26節)。「知恵は真珠よりも尊く」(箴言3章15節)、彼女は「真珠よりもはるかに尊い」存在です(箴言31章10節)。また「よく見張り」(箴言31章27節)ということばは、ヘブル語では「ツォーフィーヤー」と発音し、ギリシア語で「知恵」を意味する「ソフィア」とよく似ています。このようにして、知恵が彼女の人となりを作り上げているのです。
その結果、彼女の家族はみな、彼女をほめたたえます(箴言31章28~29節)。彼女の「美しさ」のゆえではなく、彼女が「主を恐れる」(敬意を持つ)こと、知恵に満ちて生きることのゆえなのです(箴言31章30節)。
知恵は箴言に記されています。いつでも私たちに語りかけています。もし、その語りかけに真剣に応答し続けるならば、女性も男性も、与えられた知恵によって、それぞれの場所での英雄となることができます。
箴言は、「主を恐れよ」という命令から始まり(箴言1章7節)。この命令を守る女性の描写で終わります。箴言は、どのように知恵を得て、良い決断をして、主なる神の理想に従って生きるかを示してくれるので、私たちにとって実用書と言えるのです。
今朝の祈り
知恵の与え主である主なる神よ、あなたを畏れる(敬意を持つ)者へと私を育て上げてください。