本日は最高外気温30度の予想です。すこし過ごしやすそうですね。また本日は処暑だそうです。やっと秋の足跡が聞こえそうな日になるのかもしれませんね。どうかご自愛ください。
今朝から民数記を開くことにしました。本日は民数記1章を読みました。その中でふと感じ、また考えさせられたことです。
(民数記1章2節)「イスラエル人の全会衆を、氏族ごとに父祖の家ごとに調べ、すべての男子の名をひとりひとり数えて人口調査をせよ。」(新改訳第三版)
「民数記」というタイトルは、神に愛されるべき対象として選ばれた民の数を数えた記録という意味です。人口調査は、初めのこの1章と、26章の2回行われました。民数記26章64節では、ヨシュアとカレブとモーセの三人のほか全ての人が死んだことを確認するために行われたのでした。なぜ、彼らは荒野で死ななければならなかったのでしょうか。このことは民数記が私たちに伝える大切なメッセージです。
聖書には、最初の人アダムの系図は創世記5章にありますが、驚くべきことに罪に陥ったカインの系図がアダムより先の4章に記されています。聖書においてカインの系図が最初の系図となっているのです。主なる神はいかなる人も覚えておられるのです。これはカインの罪を弾劾するための記録ではありません。罪は憎まれますが、決して人を見捨てずに愛し、守り続けられるお方であることの証しです。(第一テモテ2章4節)「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられ」るのです。私たち親族一同の名も、同じように神は祝福し救うために、覚えられ数えられているのです。ハレルヤ!
ここで神はモーセに対し、氏族により、父祖の家によって調査させ、軍務につける男子の名をあげさせました。彼らは、家系ごとに軍団を組織したのです。力のある強い人中心ではありませんでした。強力な軍隊づくりのためではなく、むしろみんなで神のことばに従う信仰により、霊的に一致して進むためのものでした。
出エジプトの時代設定には、諸説あり、いまだに確定されていません。もし、紀元前1,400年代頃とするならば、古代エジプトの第18王朝の統治時代に当たります。黄金の棺で有名なツタンカーメン王は紀元前1,300年代頃に統治しました。
いずれにせよ神の作品である人類の文明は、当時、全地球的に満ちていたに違いありません。そして、その一人一人の名が、神に愛されるべき対象として覚えられているのです。ハレルヤ!
今朝の祈り
主なる神に愛されるべき対象として名を覚えられているだけでなく、家族ともどもいのちの書に名を記されますように。