本日は「男はつらいよの日」だそうです。1969年8月27日にシリーズ第一作が公開されたことを記念しているそうです。
もともと、「男はつらいよ」シリーズはテレビ・ドラマから始まり、その後映画化されました。その経緯は、フジテレビプロデューサー小林俊一が、渥美清主演の新しいテレビドラマの企画を検討していた際に、渥美清に相談しました。すると渥美が、脚本家としても活動していた新人監督の山田洋次を推薦します。そして旅館で執筆中の山田を小林と共に訪ねた渥美が、少年時代に憧れていたテキ屋の話や、自身の青春時代の話を披露、その時の雑談を元に、テレビ・ドラマ「男はつらいよ」の物語が誕生したそうです。
そして、フジテレビが制作・放送したテレビドラマは、1968年(昭和43年)から1969年(昭和44年)に、放送されました。テレビ・ドラマ版で少し残念なのは、柴又では、実際撮影が行われていないそうです。当初、テレビ・ドラマでは全く人気がありませんでしたが、徐々に視聴率が上がりました。テレビ・ドラマの最終回で、ハブ酒を作ってひと儲けしようとした寅次郎は奄美大島でハブに咬まれて毒が回り死ぬという結末を迎えると、視聴者から抗議が殺到しました。それが映画化につながったそうです。
渥美清の人柄と才能について、執筆に先立って山田が「ゆっくり話がしたい」と主演の渥美と東京・赤坂の旅館で対面し、まるで名人の落語を聞くかのように驚異的な記憶力とテキ屋の口上など豊かな話術で笑わせる渥美から「この人は本当に頭がいい人だな。こういう人が愚かな男を演じると面白い話ができるのでは」「落語に出てくる熊さんのようなキャラクターが、この人ならできるんじゃないか」との着想を得て、落語の熊さんと結びつけながら「下町の不良少年のなれの果て」という「寅さん」のキャラクターを創造していったそうです。
渥美清の「驚異的な記憶力」と「豊かな話術」という才能を見出されて、あの「男はつらいよ」という作品と寅さんというキャラクターが生み出されたのですね。
本日は最高外気32度の予想です。危険な暑さは終わりそうですね。
今朝は民数記3章を読みました。その中でふと感じ、また考えさせられたことです。
(民数記3章12節)「わたしはイスラエル人のうちで最初に生まれたすべての初子の代わりに、・・・レビ人を取ることにした。」
主なる神は、イスラエル十二部族の中から、レビ族を選び、アロンを補助する者として、神に仕える務めに任命しました。宗教国家として歩むイスラエルでは、それは特権階級への選任とも受け取れます。けれども民数記3章1節から4節のアロンの系図には、異なった火をささげて、主に殺されたナダブとアビブのこと(レビ記10章1~2節)が取り上げられています。(注「異なった火」には様々な議論がありますが、それは祭司職の乱用と言えます。指導者として、彼らは神に従うという特別な責任を負っていました。彼らの職をもってすれば、多くの民を誤らせることは簡単だったでしょう。もし神が、私たちを、他の人を導き、教えるように任命されたのなら、その役割を当たり前だと思って乱用してはいけません。神のことばの指示に従い、忠実であり続けましょう)。しかしその一方で、モーセもアロンも完全な人間ではありません。神は、失敗のない完全な者だから、選ばれたのではなく、かえって不完全さのゆえに、痛みや苦しみ、挫折感に打ちのめされ、悔い改めた経験のある者に、神の選びというチャンスをくださるお方なのです。主なるイエスも試みを受けられました。(へブル2章18節、4章15節)。ハレルヤ!
エジプトの王は、イスラエルの男の子を「生み台」ですべての「男の子」を殺すように命じました(出エジプト記1章16節)。この罪に対しての裁きが、出エジプト記11章にあるエジプトの初子撃ちに現されました。赦され得ない罪があるのです。もし、罪を犯してしまったならば、素直に悔い改め、神のみもとに立ち返りましょう。旧約聖書・新約聖書を問わず、神は、回復の機会を下さるのです。神は罪を悔いる者を洗いきよめて「雪よりも白く」してくださいます(ホセア6章1~3節、詩篇51篇、Ⅰヨハネ1章8~10節)。
なぜ、レビ人を選び、聖別されたのでしょうか。それは、「レビ人」はイスラエルの「初子」として(民数記3章12節)、神に仕える者として生涯神に仕えることを求められたからです。エジプト人のすべての初子を打ったことでイスラエル人は救出されました。たとえエジプト王の犯した幼児殺しの罪への償いであったとしても、殺された初子のことを軽視してはおられません。だから、イスラエルは贖い代として、初子を神にささげ、感謝を忘れてはならないのです。
神ご自身は、「そのひとり子」を私たちに賜ったほどに、私たちを「愛され」ておられます(ヨハネ書3章16節)。私たちもこのお方のご愛に対して、私たちの全存在をかけて、信仰を持ってお仕えしましょう。
今朝の祈り
主なる神よ、私の献身をお受けくださり、常にご一緒にいてください。