葛西説教20241229
1.テキスト「ローマ書5:1~11」
2.タイトル「神を喜ぶ」
3.中心聖句「ローマ書5:11」
「主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。」
4.本文「神を喜ぶ」
序)「2024年、最後の礼拝を語るに当たり」
今日は、2024年最後の礼拝です。皆様にとって 今年の一年はどんな1年でしたでしょうか?うれしかったこと、楽しかったこと、記念すべきこと、悲しかったこと、困ったこと、色々あった1年だったことと思います。
今日は、この1年を神に心から感謝しつつ、「神を喜ぶ」ということについて考えてみましょう。
またパウロは、愛・信仰・希望は、(Ⅰコリント13:13)「いつまでも残るもの」と記しています。それはクリスチャンの生活に喜びをもたらす原理原則であり、これこそが本物のクリスチャンの一丁目一番地の証しなのですね。いくら私たちクリスチャンや教会が証しや伝道しても、その生活に愛・信仰・希望が欠乏しているとしたら、聖書の証しする神に魅力を感じないのではないでしょうか。
では、どのようにしてこれらのものが、どのような形で喜びをもたらすのでしょうか?
本論)「神を喜ぶ」
Ⅰ.「信仰ゆえの喜び」
パウロはこのローマ書の書簡の1章から4章において、すべての人が罪びとであるがゆえに、(ローマ書3:22)「イエス・キリストを信じる信仰による神の義」以外に、人を滅びから救い出すものは無いと教えています。これは「信仰義認」と言われていますが、その結果として(1節)「私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています」と、パウロは明言します。罪を犯している人は、たとえそれに気付いていなくても、義なる神の敵となっているのです。“自分をさばく神などいない”とうそぶく人は、明確に滅びへの道を行くのです。罪のゆえに良心の責めを感じている人は、心に平和を持つことはできません。神は彼らに対して怒っておられるのです。しかし、どんな罪びとであっても、キリストを信じるだけでその罪は赦され、神は彼らを何の罪もない人と認めてくださいます。何と!うれしいことではないでしょうか。このことこそが信仰ゆえの喜びなのです。
神学者の小島伊助も「信仰義認」について、「全く無罪とされ義とされて神と和らぐことのできたのは、クリスチャン信仰の基礎をなす。問題は人と神との関係である。これはキリスト教の特異性、唯一性である」ということばを残しています。
信仰ゆえのゆえの喜び、これこそクリスチャンの信仰生活と教会生活の出発点です。
Ⅱ.「希望ゆえの喜び」
(2節)「この恵みに信仰によって導き入れられた」人は、さらに(口語訳ローマ書5:2)「神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる」のです。過去の罪が赦されだけでなく、未来において、神の栄光の姿と同じものに新しく造り変えられていくのです。これが(口語訳ローマ書8:21)「神の子たちの栄光の自由に入る望み」なのです。神が私たちを(口語訳ローマ書8:29)「御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった」ことを忘れてはいけません。新生とは、私たちの気分や感情の問題ではなく、神の永遠の約束なのです。何と!喜ばしいことではないでしょうか。
この希望を持つクリスチャンは、(3節)「患難さえも喜んでいます」。なぜなら、患難は忍耐を、忍耐は練られた品性を生み出すからです。つまり、苦しみの中で品性が整えられ、御子イエスに似た人へと変えられて行くのです。このことを経験すると、希望はさらに強くなります。(5節)「この希望は失望に終わることがありません」。ですから、「この希望」はしんきろうのように、ないものがあるように見えるのではなく、確実にあるものが示されているのです。
Ⅲ.「愛ゆえの喜び」
希望がどれほど確実かを示すために、パウロは(5節)「なぜなら、…聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」と教えます。私たちが(6節)「弱かったとき」、すなわち(8節)「まだ罪人であったとき」、キリストは私たちのために死んでくださいました。もし、私たちが律法を謹厳実直に守っている(7節)「正しい人」であったとしても、私たちのために死ぬ人はほとんどいないでしょう。暖かく人に接する(7節)「情け深い人」であったなら、あるいはいるかもしれないと聖書は言います。(8節)「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった」のです。ここに(8節)「神は私たちに対する…愛を明らかにしておられます」。
(9節)「今すでにキリストの血によって義と認められた」のですから、将来、すべての者が裁かれる時でも、(9節)「神の怒りから救われるのは、なおさらのことです」。過去に罪びとであったときでさえ、あわれみを受けたのだから、(10節)「和解させられた私たちが…救いにあずかるのは、なおさらのこと」なのです。今、現在において神の愛を実感しているなら、将来の希望はさらに確実なものになります。だから、(11節)「今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです」。
勧め)「神を喜ぶ」
皆様、本年最後の聖書のお話でした。本日のメッセージをどのように聞かれたでしょうか。またどのように感じられ、思いが与えられ、考えられたでしょうか。どうか、(エペソ6:18、ユダ1:20)「聖霊(御霊)によって祈り」をお献げください。
過去においては、信仰によって義とされました。将来においては、栄光の姿に変えられます。そして、現在は神の愛の中で生活させていただいています。これこそ、クリスチャンの喜びです。この一年を振り返って、様々な目に見える祝福も与えられたのではないでしょうか。しかし、本当に大切なのは、祝福の源である神ご自身を喜ぶことなのです。
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