葛西説教20240204
1.テキスト「マルコ4章1~9節」
2.タイトル「良い地のような心に」
3.中心聖句「マルコ4章8節」
「別の種が良い地に落ちた」
序)「日本とは異なる農業」
このイエスのたとえ話は、当時の聴衆にとって、ごく日常のありふれた光景でした。ですから、全く違和感のないたとえ話でした。しかし、その種まきの仕方は日本の農業とは大きく異なっていました。麦の種もみを畑一面に投げながらまくのです。したがって、必ずしも良い地に落ちるとは限らず、無駄がたくさん出ることは聴衆も理解していました。
本論)「良い地のような心に」
Ⅰ.「よく聞いてください」
イエスはいつものようにガリラヤ湖畔で教えておられました。「おびただしい数の群衆がみもとに集まった。それでイエスは湖の上の舟」(1節)から浜辺にいる人々に語られました。この頃、イエスのうわさはガリラヤの全地方に広まっていて、病人や悪霊につかれた者を連れて人々が続々と集まって来ました(1:28.32.45.2:2.13.3:7.20)。彼らがイエスに触れようとして押し寄せるので、イエスは弟子たちに小舟を用意させておられました(3:9.10)。
イエスは人気を得ても、決して有頂天にはなられませんでした。むしろ、イエスはその霊の目で、人々の心と態度を見つめておられました。それゆえ、イエスは「よく聞きなさい」(3節)と言って、彼らの注意を向けさせて、教え始められました。種まきのたとえを語られた後、イエスは言われました。「聞く耳のある者は聞きなさい」(9節)。ここでイエスが問題とされたのは、人々がどのような心と態度でみことば、すなわちイエスの福音を聞くかということです。
この地方では10月末から11月に秋の雨(前の雨)が降り(申命記11:4、ヤコブ5:7)、土が柔らかくなった頃に農民は大麦や小麦などの種をまきます。これは早まきです。その後、12月中旬から2月末にかけて大量の雨がある雨季があり、それが明けてから豆などの種をまく遅まきを行います。種は畑の上に手で広くまかれました。
イエスのたとえでは「種」は4種類の土地に落ちました。そのうち3種類は実を結ばず、1種類だけが実を結びました。ここでの「種」とはみことばのことです。
まず、「種が道ばたに落ちた」(4節)とは、畑と畑の間の道は固く踏みつけられています。この種は「鳥が来て食べてしまった」(4節)。これは固く閉ざされた心を持つ人を指しています。話を聞いてはいても上の空、自分の考えに固執して聖書の教えを信じない人です。これではみことばを聞いても、簡単に「サタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを持ち去ってしまうのです」(15節)。
次に、「種が土の薄い岩地に落ちた」(5節)。それはガリラヤ地方の土地の大部分は石灰岩が覆っています。石地の上に土砂が薄く積もっている場所が多いそうです。そこは「土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった」(5.6節)。「岩地に蒔かれるとは、こういう人たちのことです──みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが、根を張らないで、ただしばらく続くだけです。それで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます」(16.17節)。すなわち信仰は一時的な感情の高まりだけではいけません。生活に根指して地道に続けることが大切です。
第三に、「種がいばらの中に落ちた」(7節)。これは「いばらが伸びて、それをふさいでしまったので、実を結ばなかった」(7節)。イバラやアザミは発育が早いため、作物が成長する前に地面を覆ってしまいます。「いばらの中に種を蒔かれるとは、こういう人たちのことです──みことばを聞いてはいるが、世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望が入り込んで、みことばをふさぐので、実を結びません」(18.19節)。これは欲張りすぎる人を指します。何が大切か事の優先順位を考えて生活を整理しなければなりません。
Ⅲ.「豊かに実を結ぶ」
「別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった」(8節)。ガリラヤでもくぼ地や盆地には肥沃な良い土地があります。「良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです」(20)。みことばは人を生かし、神の国を建設する力があります。みことばを忠実に学び、実践しましょう。
勧め) 「良い地のような心に」
ですから、聖書のみことばを開くとき、私たちは自分がどのような心の状態であるのかを知り「良い地のような心になりたい」と願って祈り、主にあってみことばに聞き従いましょう。イエスが必ず良い地にしてくださいます。
しかし残念ながら、実際、多くの人が聖書のみことばを聞きつつも、信仰を捨て去っていくようなことを見聞きしたこともあるかと思います。そして、神の祝福を失ってしまうのです。皆様はしっかりとみことばを握りしめておられるでしょうか。信仰の成長を妨げる雑草を、刈り取っておられるでしょうか。まかれた種が全て実を結ぶわけではないかもしれませんが、みことばの種をまき続ける教会は、必ず祝福されます。力を合わせて、みことばの種をまき続けましょう。
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