葛西説教20240407①
1.テキスト「マタイ20:1~20」
2.タイトル「イエスと共に」
3.中心聖句「マタイ28:20」
4.本文「イエスと共に」
序)「イースターは宣教のスタート」
本日はイースターの続きを学びます。そしてこの「イエスと共に」というテーマは、新年度のテーマ「キリストには希望がある」という信仰を必ずや強めるものとなるでしょう。それは復活されたお方にしか、言えない約束だからです。キリストにある希望は臨在信仰、復活信仰にあることを、本日のメッセージで確認しましょう。先週のイエス復活の事実を復習するとともに、それゆえにイエスは今も、そしていつまでも私たちと共に生きておられることに気づきましょう。
本論)「イエスと共に」
Ⅰ.「イエス復活の目撃者」
このとき、11人の弟子たちは逮捕を恐れて隠れていましたが、(1)「マグダラのマリヤと、ほかのマリヤ(ヤコブとヨセフの母の母マリヤ[27:56・61参照])、そしてサロメ(マルコ16:1)とは、勇敢にもイエスの遺体に香油を塗るために墓にやって来ました。しかし、彼らとて、イエスが復活されることを期待して墓に来たのではないのです。そのとき、(2)「主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがし」、イエスは(6)「ここにはおられません」と告げたのです。つまり、石が動かされる前に、イエスは復活されて墓の中にはおられませんでした。彼女たちが見たのは空の墓でした。そしてその後に、彼女たちは復活されたイエスを目撃しました。
復活されたイエスは場所に束縛されないということを知ることは、非常に重要です。これ以後、イエスはエマオへの道を歩む弟子たちに現れ、エルサレムの戸を閉めた部屋にいた弟子たちに現れ、そしてガリラヤで現れ、最後にエルサレムのオリブ山から昇天されました。復活のイエスは、必要な時には、どこにいる者たちにも顕現されるのです。
Ⅱ.「イエスの復活の否定者」
墓には、弟子たちがイエスのからだを盗み出すのを防ぐために番人(12節によれば兵士)が置かれていました(27:62~66)。彼らは、イエスの使いを(4)「見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のように」なりました。そして一目散に逃げだし、(11)「起こった事を全部、祭司長たちに報告」しました。困った祭司長たちは、(13)「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った』という作り話を伝えるように、彼らを買収したのです。しかし、兵士たちが番をしている間に寝たとしたら、どんな厳罰が待っていることか。それに寝ていたとしたら、なぜ盗んだのが弟子たちだと分かったのか。疑問です。
今の時代もこの話のように、イエスの復活を否定している人々がいます。しかし、どこにそのような証拠があるのでしょう。恐れて隠れていた弟子たちにその勇気があったのでしょうか。どのようにして、武装した兵士たちに気づかれないで死体を運び出せたのか。復活を否定する人々は、「復活などあるはずがない」という前提に立って議論しているにすぎないのです。
Ⅲ.「イエスの復活の証人」
主の使いの(6)「前から言っておられたように」ということばどおり、イエスは、弟子たちと過ごされている間に何度もご自分の復活のことを予告されていました。しかし弟子たちは、そのことを信じていませんでした。ですから、復活後に(26:32)「あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます」と言われたことなど覚えてもいなかったことでしょう。ガリラヤこそ宣教スタートの地であり、そこから新たな宣教が始まろうとしていました。しかし、ことここに至っても、(17)「ある者は疑った」のです。
そんな弟子たちに、イエスは三つのことを示されました。第一にイエスが(18)「いっさいの権威が与えられ」たこと。第二に(19)「それゆえ、・・・あらゆる国の人々を弟子とし・・・バプテスマを授け、・・・教え」るべきこと。第三に(20)「いつも、あなたがたとともに」いることです。全ての権威を授けられたお方が、あえて不信仰な弟子たちに、宣教の働きを委ねられたのです。とうてい弟子たち自身の力ではやっていけません。そのためにイエスは、(20)「いつも、あなたがたとともにいます」と約束されたのです。これはその後の聖霊降臨において成就し、彼らはイエスの復活の大胆な証人となったのです(使徒の働き3:15)。
まとめ)「イエスと共に」
復活されたイエスは今も生きておられます。そして聖霊として、いつも私たちと共におられます。春から新しい生活、新しい人との出会いもあるでしょう。その中で不安を感じている方もおられるかもしれません。しかし、全ての権威をもたれる全知全能のイエスが、どんな所にでも、いつも共にいてくださいます。このお方により頼むなら、何も心配しなくてもいいのです。
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