葛西説教20240602
1.テキスト「創世記1:1~31」
2.タイトル「天地創造」
3.中心聖句「創世記1:1」
「初めに、神が天と地を創造した。」
4.本文「天地創造」
序)「神が・・・創造した」
聖書は冒頭で「初めに、神が天と地を創造した」と宣言します。万物を創造された方こそが、万物を支配される方です。エレミヤははっきりと(エレミヤ10:11)「天と地を造らなかった神々は、地からも、これらの天の下からも滅びる」と言います。ですから、いつかは死んでしまう人間が神であるとか、人間が考え出した思想が絶対的な真理であるはずはないのです。
本論)「天地創造」
Ⅰ.「当時の世界観で書かれた聖書」
天地創造の記事を、神話的物語と考える人々もいます。確かに、およそ3千5百年も昔の人物であるモーセが、当然現代の科学的な用語でこの記事を書けるはずはないからです。本日開かれた神のことばは、当時の世界観に基づいて書かれています。ですから、それらのことばをどのように解釈するかが重要になってきます。
そのため、聖書を神のことばと信じる立場から、真摯な探求が続いています。素粒子物理学者であり、カトリックの聖職者、三田一郎の著書「科学者はなぜ神を信じるのかコペルニクスからホーキングまで」では、物理学者コペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、ホーキングが神と科学をどのように結びつけたかを詳しく紹介しています。また、プロテスタントの立場からも天地創造は神の意志であることを、カルブァン、ルターは強調しています。アメリカのNASAの科学者も「神の手」の構造を撮影したと発表しています。
NASA(アメリカ航空宇宙局)の物理学研究員だったミッチェル博士は、天地創造の6日間の出来事を次のように解釈します。第一日、神が創造されたエネルギーの塊が大爆発を起こしました。いわゆるビッグバン説です。第二日、水素とヘリウムがガス状の雲を造り、次第に分解していきました。第三日、太陽系が創造され、二酸化炭素ガスに包まれた地球が生まれました。植物が種類にしたがって創造されて、二酸化炭素ガスが酸素に変えられました。第四日、ガスが薄くなり、天体が見えるようになりました。第五日、魚類、両生類、鳥類が種類にしたがって創造されました。第六日、爬虫類、哺乳類が種類にしたがって創造されました。
これが唯一の解釈ではありませんが、科学的な用語に慣れている現代人には、興味深い説明ではないでしょうか。些末の違いはあるでしょうが、聖書全体が示す解釈は、現在の天地宇宙は自然にできたものではなく、創造されたものであるという考え方に基づいています。創造されたお方こそが絶対であり、その他のものはすべて、このお方の支配に従うべきものです。創造されたものは決して神にはなれないのです。
Ⅱ.「進化論の解釈の変化」
ダーウィンの提唱した進化論の解釈は変化しています。東京基督教大学の教授であり、共立基督教研究所の所長、理学博士稲垣久和は進化論を考える上で、二つの面を考えなければならないと言います。一つは生物が発生した起源について、それを事実に基づいた科学的な方法で考えなければならないこと。もう一つはその科学的な方法についての考え方が正しいかどうかだと。
進化論はすべての物は偶然にできたのであり、そこには特別な意味が無いと考えています。しかし、第一、科学的な研究の面から、今日、ダーウィンの考え方には様々な問題点があることが指摘されています。私が学校で学んだサルから人間に進化した説は、現在「国立科学博物館」の展示で、大きく修正されていることが紹介されています。第二の点は、聖書の考え方とダーウィンの説は真っ向から対立していることです。聖書は天地万物がすべて神のご計画によって、意味あるものとして創造されたこと。今もこれからも天体、地球、動植物、人間すべてが神の手の中にあること。ですから「万物の霊長」と言われる人間は、謙遜にそのことを認めて、創造主なる神をあがめなければならないのです。それと同時に(27節)「(神)ご自身のかたちとして創造された」すべての人間は等しく大切であり、人種や能力や性別の違いを越えて尊重されなければならないのです。しかし、このような考え方は、すべてを偶然の産物とする進化論からは生まれてこないのです。
まとめ)「天地創造」
ですから、聖書が天地創造の記事で始まっていることは、とても重要であり、大切であり、意義深いことなのです。そしてこれは聖書全体を理解するための重要なカギなのです。同志社大学を創立した新島襄は創世記1章1節を読み、「これは私の考えていた神とは全く違っている」と語ったと伝えられています。ですから、私たちも聖書を読む時、「創造主なる神」が重要なカギであることが、次第に明らかになることでしょう。
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