福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

2024年8月18日(日)礼拝メッセージ

「生きている者の神」

葛西説教20240818

1.テキスト「マルコ書121827節」

2.タイトル「生きている者の神」

3.中心聖句「マルコ書1227節」

「神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」

4.本文「生きている者の神」

 序「聖書解釈のポイント」

 本日のテキストでは「神の国の価値観」が記されています。このテキストでは律法学者との論争が背景となっています。イエスがここで主張されたのは、神の国はこの地上の国と全く違っているというのです。ユダヤ人でありながら、モーセ五書しか権威ある神のことばとして認めていないサドカイ派の律法学者は、モーセ五書の中に復活についての明確な言及がないために、復活はないと主張していました。現代でもそういう聖書の読み方をする人々がいるのではないでしょうか。しかしイエスは、それが誤りであると明言されました。

 私たちも同じような過ちをしてはいないでしょうか。聖書のある一部のみことばを聖書全体の教えの流れで読まないで、誤った解釈をしてしまうことです。多くの異端や誤った聖書の解釈は、聖書全体からの教えを無視するか、知らないことからくるのです。たとえば、教会などでメッセージを聞いてさえいれば、聖書を理解していると思い違いしていませんか。メッセージで語られるテキストは、聖書の一部に過ぎないのです。ですから、聖書全体の通読は大切です。祈る心で、聖霊の助けを借りながら、自分の目、さらには朗読という形で、自分の口と耳をも用いながらの聖書全体の通読を行っていただきたいのです。神はそのようなクリスチャンをお喜び、お用いなさるのです。

 

本論)「生きている者の神」

.「サドカイ人の考え方」

 サドカイ人は自分たちの考え方の正しさを証明するために、律法が命じている婚姻の風習(レビラト婚)を持ちだします(申命記25510)。彼らは、もし復活があるなら混乱が生じるゆえに、復活などあり得ないと言いたかったのでしょう。7人の兄弟が次々に死んでいくなどということは、現実の世界では起こりにくいが、紀元前2世紀頃に成立した旧約聖書の外典、トビト書にはそんな話が記されているそうです。

 モーセがレビラト婚を定めたのは、夫を失った夫人の生活を守り、その相続地を次の代に継承させるためでした。その目的は、この地上の生活が公正に保たれていくことにあります。だからといってモーセが復活を信じていなかったと結論できるわけではありません。しかしサドカイ人は、自分たちの考え方の正しさを証明しようと、都合のよい聖書箇所だけを引用し解釈したのです。

 

.「イエスの考え方」

 主なるイエスは、彼らの考え方を次の二つの点から批判されました。第一に、復活は地上のからだと同じものではなく、御使いのようなものなのです。永遠のいのちを与えられているので子孫は必要ありません。だから結婚も不必要です。この地上と全く違った復活のからだにしてくださるというすばらしい「神の力」を、サドカイ人は知らなかったのでした。

 第二に、主なるイエスは彼らの信頼するモーセ五書から、復活を暗示している箇所を引用されました。ここで神は、(出エジプト記36)「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と仰せられました。モーセの時代には、彼ら族長は死んでいたにもかかわらず、(出エジプト記36)「である」と現在形で言われたのは、彼らがこの時点でも生きているからにほかならないと、イエスは主張されました。サドカイ人は地上の視点で聖書を読んでいましたが、イエスは永遠の視点をもって聖書を説き明かしておられました。

 

.「復活を信じて生きる」

 サドカイ人は非常な(マルコ書1224)「思い違い」をしていました。彼らは目に見える地上の生活しか見ていませんでした。確かに、復活した後の生活がこの地上の生活の延長だとするなら、不都合なこと、疑問はいっぱいあるでしょう。まず、何を食べるのか。人口は増え続ける一方だから大変です。復活しても老人のままか。身体の不自由な人はそのままのからだなのか。夫婦でお互いの顔がわかるのか。勉強や試験もあるのか、などです。

 復活を信じて生きるとは、地上の考え方、地上の価値観とは全く違ったものを持つことです。この地上では、たくさんのお金を儲けて、有名になって、楽しい家庭を築いて生活することに価値が置かれています。しかし、死んでしまえばそれらは終わります。聖書は明確に(ヘブル書927)「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」と宣言します。そのとき私たちは、どういう態度で神の前に立つことができるのでしょうか。

 

結論)「生きている者の神」

 旧約聖書には、アブラハム、イサク、ヤコブの生涯が記されています。彼らはみな何らかの失敗をしていました。そして地上の生涯を終えました。しかし神は(出エジプト記36)「わたしは、あなたの父の神、・・・である」と現在も仰せられています。彼らは今も神の御前で生きているからです。

 私たちも、いつかは死にます。しかしその後に復活があるのです。この地上だけ楽しければ良いという浅はかな考え方はむなしいのです。本当に重要なのは、死んでから後であることを思い、復活をふまえた価値ある生き方はどういうものかを、考えながら、祈り求めながら生きましょう。

 また、まだイエスを知らない人、信じていない人がいらっしゃいます。どうか、彼らのために伝道し、祈りましょう。そうでないと彼らは死んで後、復活してから罪の裁きを受けることになるからです。 

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聖書の学び会をしている動物たち