福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

2024年9月29日(日)礼拝メッセージ

「神とともに歩んだ、エノク」

葛西説教20240929

1.テキスト「創世記52124節」

2.タイトル「神とともに歩んだ、エノク」

3.中心聖句「創世記524節」

4.本文「神とともに歩んだ、エノク」

)「神とともに歩んだとは?」

 「神とともに歩んだ」とは聖書中滅多にない表現です(創世記52224節、69節、マラキ書26)。これは単に敬虔な生涯を生きたというのではなく、信じられないほどに絶えることのない神との交わりを楽しんだことを意味します。エノクは堕落した世界で神とともに歩んだのです。このエノクの生涯の特徴は、創世記524節に出てくる表現にあるとおりに特別なものでした。それはエノクがなぜ死ななかったのかを説明するために「神とともに歩んだ」と記されているのです。「歩んだ」(ハラク)とは、神との親密さを意味することばです。それはアダムの最初の反面教師的な経験、(38)「彼らは園を歩き回られる神である主・・・の御顔を避けて園の木の間に身を隠した」ことを想起させます。また、神への従順で知られているノアの(69)「ノアは神とともに歩んだ」も同じことばです。更に、神がアブラハムに信仰の深さを求める場合にも同類語が使われています。(171)「あなたはわたしの前を歩み」(2440)「私は主の前を歩んできた」など。後のイスラエルにおいてこの神聖な臨在のニュアンスは、宿営の中を神が歩むという個所で神とイスラエルとの愛の契約的親密さが述べられています。(レビ記2612)「わたしはあなたがたの間を歩もう」(申命記2314)「あなたの陣営の中を歩まれる」など。また詩篇の作者にとっても神とともに歩むとは、いのちと幸いを意味しています。(詩篇5613)「神の御前を歩むため」(詩篇1169)「主の御前を歩き進もう」などと賛美されています。

 本日はエノクの信仰の生涯から多くのことを学び、彼のように「神とともに歩んだ」信仰生活に生きましょう。

 

本論)「神とともに歩む、エノク」

.「エノクは他の人々よりも短命?」

 創世記5章には、アダムからノアに至るまでの系図が記されています。驚くべきことにその全員が長寿で、ほとんどが900歳以上です。最長寿のメトシェラは969歳まで生きています(創世記527)。ですから聖書の記事に疑問を感じる人もいることでしょう。しかし、これについて様々な説明がなされていますが、現在よりも自然環境が良かった点を考慮するなら、これは決して誇張された表現ではないと考えられています。しかし、神はこの後に、人の寿命が120年」に縮められることを宣言されます(創世記63)

 そういう人々の中で、エノクの寿命は365歳でした。メトシェラの3分の1ほどしかありません。

 長寿を幸せとして考え、求める人々には、エノクの生涯が不幸だったと考えるかもしれません。けれども、本当にそうでしょうか。現代でも、病気や事故などで若くして亡くなられる人もいます。そういう人々はみな、不幸なのでしょうか。聖書は決してそのようには言いません。それは神が聖書をとおして私たちに永遠を教えられるからです(伝道者の書311)。この地上の生涯だけが人のすべてではないからです。

 また、聖書は(ヘブル人への手紙115)「信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました」と言います。「エノクは死を見ること」なく、直接天に移されました。したがってエノクは他のどの族長たちよりも長生きをしたのです。なぜなら、死んだことがないからです。

 

.「神とともに歩んだエノク」

 エノクについて聖書の記述は、創世記5章の中でたった4節しかないにもかかわらず、エノクは(創世記52224)「神とともに歩んだ」と、2度も繰り返されています。しかも、そのように記されているのは、この系図においてはエノクしかいません。この創世記の最初から読むと明らかなのは、このエノクこそ「神とともに歩んだ」と明記される最初の人間です。ちなみに2番目にそう呼ばれるのは、ノアです。

 神のことばに背いたアダムとエバは、神から身を隠すような者になりました。その結果、神とともに生きることのできたエデンの園から追放されざるを得ませんでした。しかし、彼らの子孫の中に、神とともに歩むことを求めた人間が出るのです。たとえこの地上の生涯が短くとも、その日々を「神とともに歩んだ」のが、エノクでした。

 神から身を隠して生きていくのか。それとも神とともに歩むのか。それは一人一人が選びとるべきことです。この系図の他の人々がどうであったのかを聖書は明らかにしていません。ですがエノクについては、明確に神とともに歩む生き方を選び取ったことが記されています。これは神に創造されたすべての人間、そしてクリスチャン必須の祝福の秘訣です。

 

.「神が取られたエノク」

 この系図は、一人一人の最期を(創世記558111417202731)「こうして彼は死んだ」という同じことばで結んでいます。しかし、エノクだけは(創世記524)「神が彼を取られたので、彼はいなくなった」と記します。これはどういう意味でしょうか。新約聖書ヘブル人への手紙は明確に宣言します。(ヘブル人への手紙115)「信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました」と。エノクは死んだのではありません。(口語訳・新共同訳ヘブル人への手紙115)「天に移され」たのです。具体的に彼の肉体がどのようになったのかは分かりませんが、当時の人々の目には見えなくなりました。エリヤの場合もこれと似ていて、(Ⅱ列王記212)「エリシャは・・・彼(エリヤ)はもう見えなかった」と記されています。

エノクについては(へブル人への手紙115)「移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました」と創世記5章での出来事が解釈されています。神とともに歩むことは、神が喜んでくださることなのです。それゆえに、神はエノクを天に移されました。エノクが短命だったことは、彼の肉親や友人にとっては悲しいことだったかもしれません。しかし、主なる神はエノクを喜ばれたからこそ、その地上の生涯は短かったが、肉体の死を経験しないで、天に移されたのです。

私たちもエノクのように生きたいと願います。どんな時でも主なる神がともにおられると信じて歩みましょう。神は私たちのすぐそばにおられるのですから、試練の時には「主よ、お助けください」と叫び、喜びの時には「主よ、感謝します」と祈りましょう。そのような交わりは、私たちにとっても喜びですが、だれよりも主なる神ご自身が喜んでくださるのですから。

 

まとめ)「神とともに歩んだ、エノク」

 アダムの子孫は、エデンの園の外で労働と出産の苦しみを経験しなければなりませんでした。しかし、苦しみの中でも神とともに歩むことができるのです。それこそが、本当の喜びを生み出すのです。

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羊飼いと一緒にお散歩する羊たち