葛西説教20240107①
1.テキスト「ヨハネ9章1~12節」
2.タイトル「神のみわざ」
3.中心聖句「ヨハネ9章3節」
4.本文「神のみわざ」
序)「つらいことはすべて、マイナス?」
本日の聖書の個所は、因果応報的な考えに捕らわれている人々に神の恵みの光を与えてくれます。皆さんはどうでしょうか。たとえば「どうしてこんなつらいことが自分に起こるのか」と悲しい思いや悔しい思いをした時に、あなたはどうしますか。1、泣きますか。2、当たり散らしますか。3、あきらめますか。
新年最初のメッセージは、「希望はどこに」?希望はキリストですとお語りしました。
ですから、つらいことが起こったら、本日の中心聖句「神のみわざが」と言われた主イエスのことばを信じ、主から力を与えられて前進しましょう。周囲の人々の無責任なことばに振り回されたり、自分の殻に閉じこもってしまったり、自暴自棄にならないでください。
本論)「神のみわざ」
Ⅰ.「肉体の目が開かれる」
来るべきメシヤは目の不自由な人の目を開かれると、預言者イザヤは何度も記しています(29:18、35:5、42:7)。そして、旧新約聖書全体で、目の不自由な人を見えるようにされたのは、ただイエスのみです。イザヤの預言はイエスによって成就したのです。
ここに登場する「生まれつきの盲人」の人生は、非常に惨めなものだったと思います。点字も盲導犬もない時代に、物乞いするしか生きる道はなかったでしょう。彼はマタイ9:27~31の目の不自由な人のように必死に癒しを求めたわけではありません。ただ無為に毎日を過ごすだけだったと思います。しかし、イエスはご自分のほうから彼に近づき、つばきでつくった泥を彼の目に塗って、「シロアム・・の池に行って洗いなさい」と命じられました。そして彼がその通りにしたとき、見えるようになったのです。イエスは神の子であるからこそ、この目の不自由な人の目を開くことができたのです。
Ⅱ.「霊の目が開かれる」
弟子たちは、この目の不自由な人と会ったとき、「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか」と主に尋ねています。弟子たちも、当時の一般的な人々と同様、目が不自由なのは罪の結果だと考えていました。しかしイエスはそれをきっぱりと否定し、「神のわざがこの人に現れるためです」と言われました。弟子たちは、肉体の目は見えていたが、霊の目は見えていませんでした。イエスがご覧になられたように、この目の不自由な人を見ることができなかったのです。
13節から登場するパリサイ人のユダヤ人は、もっと霊の目が開かれていませんでした。彼らはイエスが安息日にこのことをされたという理由で、イエスが神から遣わされたお方であることを受け入れようとしません(29節)。それでもイエスは、そのような人々の霊の目を開こうとされて、この目の不自由な人の、証しのことばを用いられました(30~41節)。
Ⅲ.「神の子を信じる」
「この盲人は見えるようになった。そこに神のみわざが現された」と言うことは確かにできます。でも、そのような奇跡が起こらないなら、神のみわざは現されないのではありません。6章29節ではイエスは、「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです」と言われました。たとえ肉体の目が見えなくても、イエスが神から遣わされたお方であると信じるなら、それこそが神のみわざなのです。
この目の不自由な人の目に泥を塗られたとき、イエスは「シロアム」、遣わされた者の意味の池に行って洗いなさいと言われました。ここに象徴的意味があると言われています。目の不自由な人は、神から遣わされたお方のもとに行ったのです。彼は目が見えるようになった後にイエスとお会いし、「主よ、私は信じます」と告白しています(9:38)。これこそ、目が見えるようになる以上にすばらしい神のみわざに他なりません。
不自由な人に限らず、ハンディキャップのある方々は多くおられます。その原因は、誰かが罪を犯したからだとか、家の方角が悪いからだとか、真剣に言う人々もいます。そのような考えには、明確にノーと言わなければなりません。たとえハンディがあろうとも、イエスを信じて生きていくならば、障害を通してさえ、神のみわざが現されるのです。
星野富弘(とみひろ)さんやレーナ・マリアさんは、大きな障害を持ちながらも、神を称える詩を作り、絵を描き、賛美を歌っています。それによって多くの人々が励まされています。イエスを信じる人も起こされました。神のみわざが現されています。重要なのは、障害さえも神からの賜物として受け取り、イエスを神の子として信じて生きていくことです。
まとめ)「神のみわざ」
本日の聖書の個所は、因果応報的な考えに捕らわれている人々に神の恵みの光を与えてくれます。皆さんはどうでしょうか。「どうしてこんなつらいことが自分に起こるのか」と悲しい思いや悔しい思い、つらい思いの時、本日の中心聖句ヨハネ9章3節「神のみわざが」と言われた主イエスのことばを信じ、主から力を与えられて前進しましょう。周囲の人々の無責任なことばに振り回されたり、自分の殻に閉じこもってしまったり、自暴自棄にならないでください。
葛西福音キリスト教会 関連ホームページ