福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

2025年1月12日(日)主日礼拝メッセージ

「喜びに満ちて」

葛西説教20250112

1.テキスト「ネヘミヤ記8:112

2.タイトル「喜びに満ちて」

3.中心聖句「ネヘミヤ記8:10

新改訳2017より「主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」

4.本文「喜びに満ちて」

)「導入」

 新しい年になって、約2週間たちました。お正月にはおせち料理を食べましたか?その中には、山の物、海の物、畑の物など様々な物がありますね。煮豆とか、ごまめ、高野豆腐、昆布とかありますね。日本のおせち料理では縁起をかついで、昆布料理は「よろこんぶ」などとしゃれを利かしたりしていますね。教会では、イエス・キリストを信じることを通して喜びの生活、喜びの人生と天国の切符を与えられます。皆様は、イエス・キリストに出会われ、そして信じていらっしゃいますか?

 皆様が喜ぶのはどんな時でしょうか?おいしいものを食べた時でしょうか?お年玉をもらった時でしょうか?親しい友人、家族とのゲームや団らんのひと時でしょうか。かわいいペットと遊ぶ時でしょうか?他にもたくさんあるでしょう。

 さて、本日の聖書の個所から教えられる喜びは、今までの出て来た喜びの中にはない喜びです。ネヘミヤという神と人に選ばれた人が、人々に与えた喜びは、どんな喜びでしょうか?

本論)「喜びに満ちて」

.「聖書の力」

 ネヘミヤという人は、紀元前5百年くらいに、中東のペルシアという国からイスラエルという国のエルサレムに帰って来て、壊された神殿を人々と一緒に修理しました。今日の聖書には、ネヘミヤさんよりも10年くらい前に主の神殿の修理のためにエルサレムに帰って来ていたエズラさんと一緒に集まって聖書を学んで、神様を賛美して、祈っていたことが書かれています。集まった人々はその心をぴったりと一つにして、水の門の前の広場というところに集まりました。聖書の先生であり、神の礼拝の指導者であったエズラさんは、当時の聖書のことばを読みました。すると何と!(3節)「夜明けから真昼まで」!おそらく6時間くらいかもっと長い時間、神のみことばが読まれ、読み続けられていったのです。そして「その意味はこうですよ、ああですよ、わかりますか」と言って聖書の意味を解き明かして、聞いている人々がよくわかるように教えてあげました。するとどうでしょうか。聞いていた人々の目から涙が流れ落ちてくるではないでしょうか。人々は声を上げて泣き出したのです。聖書のことばを聞くうちに、人々は、自分たちが神様の教えから遠く離れて、たくさんの罪を犯してきたことがハッキリと分かったからでした。本物の神様以外の神、偽物の神を拝み、形ばかりの礼拝や奉仕を献げていることを、聖書のことばによって気づかされたので、心から悲しみ、声をあげて泣かずにはおられなかったからです。

.「主を喜ぶ」

 それを見て、ネヘミヤさんとエズラさん、聖書を解き明かしていたレビ人の人たちは、すべての人々に向かって言いました。(9)「きょうは、あなたがたの神、主のために聖別された日である。悲しんではならない。泣いてはならない」と。(新改訳2017ネヘミヤ記8:10)「ごちそうを食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。…今日は、私たちの主にとって聖なる日である。悲しんではならない。主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ」と。

 この日は特別な日となりました。神が最も望まれているリバイバルの日となりました。リバイバルとは信仰復興のことです。聖書の辞典では、「リバイバルとは、クリスチャンに与えられる聖霊による霊的な目覚めです。ラテン語のRIVIO、再び生きるということばを元に、日本語で「リバイバル」と言われています。リバイバルは新約聖書の中で、ペンテコステの日に教会に与えられた聖霊の注ぎとして、使徒の働きの中で、繰り返し記録されています。本日のネヘミヤ記8章は、旧約聖書におけるリバイバルのひな型と言われています。

 歴史の中にも、ルターの宗教改革、17世紀のドイツ、18世紀のイギリス、19世紀のアメリカなど、キリスト教の歴史はリバイバルの歴史と言ってもよいでしょう。

 リバイバルとは、聖書のことばで罪が分かり、心から悔い改めた人々に、イエス・キリストの十字架による罪の赦し、天国への切符が与えられて、喜びが沸き上がったのです。罪の赦しの恵み、天国への切符をくださる神様を喜ぶことが、すべてにまさって心の力となるのです。人々は涙を拭いて、清々しい聖い心とされて、心から大いに主なる神を喜び、力に満たされました。

 

勧め)「喜びに満ちて」

 どうでしょうか。私たちの生活にもリバイバルが必要ではないでしょうか。聖書のことばを真剣にお聞きになられ、罪を悔い改め、赦しの喜びに満たされて生きるなら、リバイバルは必ず実現するのです。それは個人的なものから始まります。リバイバルはトップダウンではなく、ボトムアップです。リバイバルは教会計画や牧師の指示ではなく、個々人のみことばへの応答から始まるのです。

 

 まだ、イエス・キリストを信じておられない方は、どうか今信じてください。そして罪の赦しと天国への切符を神から与えられてください。そうするならば、あなたもこのリバイバルを体験して「喜びに満ちて」生きることができます。