福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

葛西説教20230115

 

1.テキスト「マタイ20:1-16

2.タイトル「キリストにある義人」

3.中心聖句「マタイ20:14

「最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。」

4.本文「キリストにある義人」

 序)「義人とはだれ」

 2023年度のみことば「義人の道は平らです。あなたは義人の道筋をならして平らにされます。」(イザヤ26:7)。ここで言われている義人とはどのような人のことでしょうか。そのことを本日のテキストから教えられたいと願います。

 神様は私たちにおっしゃっておられます。「最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。」(マタイ20:14)と。また「あとの者が先になり、先の者があとになるものです。」(マタイ20:16)(同19:30)と。このみことばに、神様によって道が平らかにされる、キリストにある義人の姿があるのです。では、イエス様のことばに教えられたいと願います。

 そもそもこのたとえは、前章の19章で、ペテロの「私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」(マタイ19:27)と。その悲しんでイエス様から去った富む青年と自分たちを比較して、ある種の高慢になっていることに対するイエス様の戒めと罪人への愛が表されているたとえ話なのです。

 

本論)「キリストにある義人」

.「ブドウ園の主人」

 あるブドウ園を持った主人がいました。たくさんのブドウの木が植えられていたことでしょう。それは立派なブドウ園だったでしょう。ところが、そこで働く人がいません。そこで、主人はブドウを収穫する人を雇うために、夜が明けると人を集めに市場に行きました。そしてそこで労働者を見つけると、一日分一デナリ払う約束をして、ブドウ園に送りました。一デナリは、ユダヤでは一日分の賃金でした。

 それから三時間ほど経った朝の九時、もう一度市場に出かけると、何もせずに立っている人がいました。主人は自分のブドウ園で働くように声をかけました。

 主人は昼の十二時にも、また午後の三時にも人を雇い、ブドウ園に送りました。夕方の五時にも、まだ市場に立っている人がいたので、主人はかわいそうに思い。「あなたがたもブドウ園で働きなさい」とブドウ園に送りました。

 

.「約束の一デナリ」

 やがて夕方になり、日が暮れました。主人はブドウ園を管理する人を呼び出して言いました。「労働者たちを呼びなさい。そして、最後に来た人々から順番に賃金を払ってやりなさい。」と。

 夕方の五時に雇われた人たちがやって来ました。管理する人は、彼らに一デナリを手渡しました。この人たちはびっくりしたことでしょう。たった一時間しか働いていないのに、十二時間働いた人の賃金をいただいたのですから。ところが、その後にやって来た人にも、同じ一デナリの賃金でした。

 最初にブドウ園に来て働いている人たちは、その様子をじっと見ていたことでしょう。彼らは朝、六時から十二時間働いていたのです。おそらく疲れてへとへとだったでしょう。たった一時間しか働いていない人が一デナリもらえたのです。自分たちはたくさんもらえると考えたことでしょう。しかし、自分たちにも同じ一デナリだけしかもらえませんでした。

 彼らは心の中が不満と妬みでいっぱいになったことでしょう。早速ブドウ園の主人のところに行って言いました。「ご主人様、この最後の人たちはわずか一時間しか働かなかったのに、一日中働いた私たちと同じ扱いをされるなんて、ひどいじゃないですか。

 

.「この最後の者にも」

 ところが主人は答えました。「私は何も不公平なことはしていません。あなたは私と一日一デナリの約束をしたはずです。自分の分で満足しなさい。ただ私としては、この最後の者にもあなたと同じように払ってあげたいのです。」と。

 実は、このブドウ園の主人とは、父なる神様のことです。そして、一デナリとは、神様から私たちひとり一人に与えられる救いのめぐみのことです。ブドウ園の主人である神様は、すべての人に救いというめぐみを与えたいと願っておられます。神様は、最初に招かれた文句を言ってしまう人も、行き場がなくて最後に招かれた人も、分け隔てなく愛してくださるのです。これらのすべての人が「キリストにある義人」なのです。

 

勧め)「キリストにある義人」

 

 神様は「神は、すべての人が救われ・・・るのを望んでおられます。」(Ⅰテモテ2:4)。一人子イエス様を与えてくださるほどの大きな愛をもって、きょうも私たちひとり一人を「私のブドウ園に来なさい」と招いてくださっているのです。この神様のご愛に感謝して、その招きに応える者となりましょう。そうするなら私たちはみな、「キリストにある義人」となるのです。