福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

2022年11月13日(日) 第2主日礼拝メッセージ


葛西説教20221113

1.テキスト「マタイ17:1-13

2.タイトル「十字架の道とは、主に聞き従う道」

3.中心聖句「マタイ17:5

「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」

4.本文「十字架の道とは、主に聞き従う道」

 序)「はじめに」

 先週はイエス様が私たちに与えてくださる十字架を負ってイエス様に従う道について聖書から教えられました。十字架の道には、苦しみや悲しみが伴うかもしれません。その十字架の道をいかに歩むか、いかにすればその十字架の道をゴールまで歩むことができるのか。そのことを本日の聖書のテキストで私たちは学ぶことができるのです。

 この記事は共観福音書すべてに共通して記されています(マルコ9:2-8、ルカ9:28-36)。特にマタイは、モーセのシナイ山での神様との出会いと対比して記していると言われています。主の栄光を見たモーセの顔は「光を放った」(出エジプト34:29)と。しかし、変貌の主の御顔の輝きは、モーセの場合のように反射する輝きではなく、光そのものとしての輝きでした(ヨハネ1:9)。「太陽のように」(2)とは、マタイだけが記しています。この太陽のような輝きは、「光のように白くなった」(2)御衣の輝きとともに、イエスの復活のからだ、昇天して神の右に着座される時の栄光の姿を示しています。

 

本論)「十字架の道とは、主に聞き従う道」

Ⅰ.「お姿が変えられたイエス様」

 イエス様が弟子たちに、十字架と復活の予告をお話されてから六日が経ちました。イエス様は、弟子たちの中から選んだペテロさん、ヤコブさん、ヨハネさんの三人を連れて、高い山に登られました。それはお祈りをささげるためでした(ルカ9:28)。

 ところが、祈っておられるうちに、イエス様のお姿が突然変わりました。お顔は太陽のように輝き、その御衣は光のように白くなったのでした。その様子にペテロさんたちはびっくりしました。

 しかも、まぶしいばかりの輝きの中で、イエス様のそばに二人の人が現われ、イエス様と何か話し合っていました。その二人とは、皆さんもよく知っておられるモーセさんとエリヤさんでした。彼らはこの時、イエス様がエルサレムで成し遂げようとしておられること、すなわち、十字架にかかられることを話し合っていたのです(ルカ9:31)。

 

.「雲の中からの父なる神様の声」

 ペテロさんが自分でも何を言っているかわからないことを言い終わらないうちに、雲が沸き起こり、イエス様たちをおおいました。そして、雲の中から声が聞こえて来ました。「これは私の愛する子、私の心にかなう者だ。これに聞け」と。それは神様の声でした。

 ペテロさんたちは、この声を聞いてとても恐れ、顔を地面に伏せて震えました。その時イエス様は彼らに手を置いて、「起きなさい。恐れることはない」と言われました。彼らが目を上げてみると、もうイエス様の他にはだれも見えませんでした。ただイエス様お一人がおられるだけでした。

 

.「私たちが聞き従うお方、イエス様」

 神様は弟子たちに「彼の言うことを聞きなさい」と言われました。神様は、ご自分の愛する御子であるイエス様に聞き従うように、と言われたのです。

 イエス様は、神の御子ですが、その栄光を捨ててこの世に来てくださいました。そして、罪のないお方なのに十字架にかかられたのです。それは、私たちを罪から救うためでした。

 イエス様は、十字架にかかって死なれましたが、三日目によみがえられました。どこまでも神様のみこころに従われたイエス様に、神様は復活の栄光をお与えになったのです。

 イエス様の山上での輝くお姿は、神の子としてのお姿であり、また、死の中からよみがえられた栄光のお姿だったのです。神様はペテロさんたちに、そのイエス様に聞き従うようにと言われたのです。

 私たちが聞き従うべきお方は、イエス様です。神様ご自身であられたイエス様、また、私たちの罪のために十字架にかかり、死の中からよみがえられたイエス様です。このイエス様に聞き従わなければ、私たちは神様の祝福をいただくことはできないのです。

 

勧め)「十字架の道とは、主に聞き従う道」

 

 神様は、イエス様に聞き従う素直な心を喜ばれます。イエス様に聞くとは、みことばに従うことです。いつでもみことばを心にたくわえ、イエス様にお従いしましょう。それが十字架の道を歩むことであり、私たちが十字架の道をゴールまで歩む秘訣なのです。