福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

「できることを」

葛西説教20230319

1.テキスト「マルコ14:1-9

2.タイトル「できることを」

3.中心聖句「マルコ14:8

「この女は、自分にできることをしたのです。」

4.本文「できることを」

 序)宣教の可能性とは何か

 宣教の可能性を考える時、それは人間の可能性なのか、神様の可能性なのかという二つの方向性を考えることではないかと思うのです。だって、教会には、サタンは当然除くとして、人間と神様しかいないからです。前の奉仕教会でいくつかの資料に目を通したことがあります。「日本教会成長研修所マニュアル」「細胞グループ教会セミナー」などです。その教会成長研修所研修生(牧師)に対する歓迎のことばはこうでした。「先生は、神様の導きによって他に例を見ないこのユニークな研修に参加するために選ばれました。先生が聖霊の導きのもとに新しい洞察力をいただき、適切な情報を駆使し、教会の成長を達成されますことを確信しております」と。詳しい内容についてはあまり詳しく覚えていませんが。

 ただ、私が大切だと思うのは、宣教の可能性という時、神様(信仰)の可能性を知り、祈り求めていくことではないかということです。そのことを以前、イザヤの宣教から学ばさせていただきました。本日は一人の女性が「できることを」神様にお献げしたとき、それを神様は用いられ、神様の栄光となったのです。私たちにも神様は「できることを」求めておられるということについて祈り、考えてみましょう。

 

本論)「できることを」」

.「あらすじ」

 ロバの子に乗ってエルサレムに入城されたイエス様は、その後、エルサレムから出て、ベタニヤの町に泊まられました。

 イエス様が、シモンという人の家で食事をしておられた時のことです。一人の女の人がイエス様のところに近づいて来ました。そして、なんと、手に持っていた石こうのツボを壊して、何かをイエス様の頭に注ぎかけたのです。それはナルドの香油という、高いお金を出さなければ手に入らない、非常に高級な香油でした。

 ある人々は、それを見て、とても腹を立てました。そして女の人に文句を言ったのです。「何と、もったいないことをするのだ。高い香油をこんなにむだにして、これを売れば相当のお金になって、貧しい人々を助けてあげることもできたのに」と。

 

.「香油の意味」

 ところが、イエス様は彼らに言われました。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです」と。

 イエス様は続けて言われました。「貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません」と。イエス様のためとは何でしょうか。

 イエス様は言われました。「この人はわたしのからだに香油を塗って、前もって埋葬の用意をしてくれたのです」と。これはどういう意味でしょうか。ルカには、こうあります。

「あなたは、わたしの頭に油を塗ってくれなかった」と。おそらく、彼女は大切なお客様に対するもてなしの一つとして行ったのでしょう。しかし彼女は意識していませんが、ユダヤ人は死体を埋葬する時、油を塗る習慣があったので、結果的には、イエス様の死と埋葬の準備をしたことになったのです。

 

.「できることを」

 この女性はヨハネではマリヤだとされています(ヨハネ12:3)。マリヤにとって、このナルドの香油は300デナリという高価なものでした。1デナリは一日分の賃金なので、ほぼ年収に等しい額のものでした。おそらくマリヤにとって、長い間コツコツとお金を貯め、やっと買い求めたものでしょう。でも、彼女はそれを、惜しむことなくイエス様にささげたのです。しかも、ツボを傾けて、ちょろちょろと注ぎかけたのではありません。ツボを壊して、全部、最後の一滴まで注ぎ尽くしました。イエス様のためなら、少しも惜しいと思わなかったです。イエス様は、このマリヤさんの思いをごらんになり、「できることをした」と喜ばれました。あの五つのパンと二匹の魚をささげた少年のように。

 ですから、私たちも、できることをして神様に喜ばれたいものですね。たとえそれがどんなに小さなことでもです。では、私たちはイエス様のために何ができるのでしょうか。

 まず、第一にそれはイエス様を信じることです。私たちの罪のために十字架にかかってくださったイエス様を信じる信仰こそ、神様が一番喜ばれることです。また、どんなに大変な問題の時でも、何でもおできになる神様を信じましょう。それがからし種一粒の信仰であっても、イエス様のことばを信じるなら山も動くのです(マタイ17:20)。

 第二に、他の人々にイエス様のことを伝えることです。私たちの周りには、まだイエス様を信じていない家族、友人がいるのではないでしょうか。その人たちが救われるように祈り、神様を証し、教会に誘いましょう。

 

勧め)「できることを」

 イエス様は、私たちのためにいのちを捨ててくださいました。それによって私たちは、本当の愛を知りました。私たちも、このイエス様を愛し、イエス様のために私たちが「できることを」させていただきましょう。それは神様には無限の可能性があるからです。