福音伝道教団

葛西福音キリスト教会

礼拝聖書のお話し

2023年4月23日礼拝メッセージ

「神が必要とされる人」

「信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、

はかない罪の楽しみを受けるよりは、

むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。」

 

(ヘブル11:24.25

葛西説教20230423

1.テキスト「出エジプト2:11-14

2.タイトル「神が必要とされる人」

3.中心聖句「ヘブル11:24.25

4.本文「神が必要とされる人」

 序)「はじめに」

これから8週間にわたってモーセの生涯を学びます。奴隷となった地、エジプトから脱出し、神の約束の地であるカナンに戻ります。その地で神の民が形成されるために、モーセはどうしても神が必要とされる人でした。そのためにまず神は、モーセに対し、80年をかけて周到な準備をなされたのです。

 

本論)「神が必要とされる人」

Ⅰ.「ストーリー」

 モーセが生まれた時にはもう、ヨセフがエジプトの飢饉を救った人だということを知っている人はいなくなっていました。しかし、カナンからエジプトに移住したイスラエル人は、その間にどんどん増えて、ものすごくたくさんの人口になっていました。それで、エジプトのパロ王は、イスラエルの勢力を恐れて、彼らが反乱をおこさないように、奴隷としてこき使ったのです。しかし、それでも彼らの人口が増えるのを見て、パロは、出産した子が男ならその場で殺せとか、ナイル川に捨てろという命令を出しました。

 このような状況の中、神はイスラエルを救う計画を進めておられました。選ばれたのはモーセです。彼は、生まれて3か月たって、ナイル川に流されましたが、パロの娘に拾われて、命拾いしました。そして、パロの娘の命令で、実の母親を乳母として育てられました。ですから、モーセは子どもの頃に、イスラエルの神を信じる信仰をしっかりと受け継ぐことができました。

 その後、モーセはエジプトの王子として王宮に入り、当時の最高の教育を受けました。しかし、信仰によってモーセは、成人した時、パロの娘の子と言われることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。そこで40歳になったある日、同胞のイスラエル人がエジプト人に虐待されているのを見て、自分でそのエジプト人を殺してしまいました。しかし、自分の力でイスラエル人を救ってやろうとした彼の考えどおりにはいきません。他のイスラエル人は、モーセを支持せず、「だれがあなたを私たちのリーダーにしたのですか」と言うのです。そこで、とうとうモーセは王子という身分を捨てて、エジプトから逃げ出してしまいました。

 モーセはミデアンまで逃げ、そこで出会った祭司の娘と結婚し、40年間羊飼いをすることになります。しかし、これがモーセの訓練の時だったのです。羊は弱い生き物で、牙も角も持っていませんから、自分で戦うことはできません。しかし羊は羊飼いを呼べば、オオカミにも獅子にも負けません。また羊は迷いやすく、自分で牧草や飲み水を見つけることができません。しかし羊飼いに、ちゃんと導かれれば、元気に養われるのです。モーセはここで、羊と羊飼いの関係から、人と神の関係を学び、柔和なことで、すべての人に勝るようになったのです。

 

.「ここでの学ぶべき真理」

 羊は自分の力ではなく、羊飼いの愛と忍耐とやさしさによって養われます。同様に、人間は自分の力、才能、生まれ、育ち、知識、権力で人を救うことはできません。神に戦っていただき、神に導かれてこそできるのです。モーセは羊飼いとして、弱い者を思いやる愛、できるまで待つ忍耐、ありのまま受け入れるやさしさを身に付けることができました。だから神が必要とされる人、イスラエルの人を導く神の羊飼いとして用いられたのです。

 

.「あなたはどうしますか?」

 皆様にも合わない人、苦手な人がいるかもしれません。また店のレジなどでもたもたする人にイライラすることもあるかもしれません。でも、神が受け入れない人がいるでしょうか。神はどれだけ、私たちが救われるのに忍耐されたことでしょう。そのことを思い出しましょう。

 

勧め「神が必要とされる人」

 モーセのように、神が必要とされる人にさせていただきましょう。そのためには自分の力で人を救うことはできないことに気づき、神に戦っていただきましょう。また、モーセのように愛と忍耐とやさしさをもって、神に導かれ、その導きを人に伝える人になりましょう。