葛西説教20230611②
1.テキスト「出エジプト33:12-23」
2.タイトル「破れに立つ」
3.中心聖句「詩篇106:23」
「もし、神に選ばれた人モーセが、滅ぼそうとする激しい憤りを避けるために、
御前の破れに立たなかったなら、どうなっていたことか。」
4.本文「破れに立つ」
序)「破れに立つとは何か?」
本日のメッセージ・タイトルは「破れに立つ」です。これは中心聖句詩篇106:23からとりました。それは「もし、神に選ばれた人モーセが、滅ぼそうとする激しい憤りを避けるために、御前の破れに立たなかったなら、どうなっていたことか」と書かれているからです。この「破れに立つ」とは、城壁の破れに立って命がけで敵軍を撃退する勇士のことです。このモーセこそ、イスラエルの人々の罪のために「破れに立つ」者でした。そして私たちの罪のために十字架で死なれ、三日目に復活された主イエスこそ、私たちの罪のために「破れに立つ」救い主となられたのです。そして主イエスの救いを受けた者もまた、この世の人のための「破れに立つ」者として、主イエスを宣べ伝える使命を受けているのです。
本論)「破れに立つ」
Ⅰ.「ストーリー」
モーセがシナイ山に登って、神から十戒を与えられていた時のことです。イスラエルの人々は、モーセの帰りが遅いことを不安に思い、「さあ、私たちに先立っていく神を造ってください」と、アロンに迫りました。そこでアロンは、みんなの金の耳輪を外させ、それで子牛の像を造りました。するとイスラエルの人々は、その金の子牛を神として拝み、お祭りを始めたのです。このため神は、モーセに急いで山を下りるように命じられました。激しく怒られた神は、イスラエルの人々を滅ぼし、祝福の約束はモーセとその子孫に与えようと言われたのです。しかしモーセは、「イスラエルの人々がエジプトから助け出されたのは、結局滅ぼされるためだったと、人々に噂されるようでは、神の恥になります、この災いを思い直してください」と祈りました。そこで神は、モーセのことばを聞き入れ、さばきを思い直されました。
山を下りたモーセは、イスラエルの人々が偶像の神を祭っているのを見て怒り、十戒の書かれた石の板を砕き、金の子牛も火で焼いて粉々にしてしまいました。そして、いきさつをアロンから聞きましたが、アロンは弁解するばかりです。そこでモーセは、自ら宿営の門の前に立ち、「神につく者は集まるように」と言いました。すると、レビ人の子らがモーセのことばに従って集まり、「神に従わない者を打て」との主のことばに従って、神に従わない三千人を打ちました。そして次の日、モーセはもう一度山に登り、神の前に出て、「彼らの罪を赦してください。・・もしかなわなければ私の名を神の書から、消し去ってください」と祈りました。しかし神の答えは、「わたしのさばきの日にわたしが彼らの罪をさばく」というものでした。その後、神は自分が一緒に行くとイスラエルの人々をいずれ滅ぼすことになるから、一緒に行かないけれども、約束の地を目指して出て行くように言われました。これを聞いたイスラエルの人々は大変悲しみました。
今度は、モーセは、宿営の外の会見の幕屋に、一人入って祈りました。モーセは、神がモーセを選んで恵みを与えると言われた約束と、イスラエルが神に選ばれたことを思い出してくださいと祈りました。すると神は、「わたし自身が一緒に行く、そしてあなたに安息を与える」と答えてくださいました。さらに彼は、「あなたが一緒に行かれないならば、私たちを行かせないでください。私たちが神の恵みを受けていることが分るのは、神が一緒にいてくださるからです」と祈りました。そこで神は、すべての善きものと恵みを与えてくださると約束されました。
Ⅱ.「この個所の真理とは?」
イスラエルの人々はどれだけ神から恵まれても、神を信じない人々でした。神が怒り、滅ぼすと言われるほどでした。モーセは、その怒りをなだめ、身代わりとなり、神が一緒にいてくださることを求めました。これを「とりなし」と言います。しかし、赦されたのは主につく者です。
イエスも、神の怒りをなだめ、私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかり、神がいつも共にいてくださるしるしの聖霊を送ってくださいました。今の時代は、イエスがとりなしていてくださるので、イエスにつく者は罪を赦されるのです。
Ⅲ.「あなたはどうしますか?」
イスラエルの人々はモーセにつく者となり、罪を赦されました。では、あなたは、モーセの律法の完成者、十字架の死と復活を成し遂げられたイエスにつく者でしょうか。そうでないならば、犯した罪を悔い改めて、イエスを信じ、イエスのとりなしを受け、神の怒りとさばきから救われてください。そして、すでに救いのとりなしを受けておられる方々と一緒に、この世と人々の罪のとりなしをするため、伝道の働きをしましょう。
まとめ)「破れに立つ」
不信仰な人々のため、モーセは三度にわたって神の怒りをとどめ、身代わりとなり、神の臨在を示してくださるように祈りました。神の子、主イエスも神の怒りをとどめ、身代わりとなり、神の臨在を示すため、この地上に来られました。モーセは旧約時代に、この主イエスと同じ働きをしたと言えるのです。
葛西福音キリスト教会 関連ホームページ